手紙
-7-
「アユ?」
名前を呼ぶ声に歩は顔を上げた。
すると、目の前に壮士が立っていた。
「壮士ッ…」
この頃、いつも自分に背を向けるばかりで呼んでも振り返ってくれなかった壮士だったが、今日はちゃんと前を向いて自分を見てくれている。
それが嬉しくて、歩は彼の身体に掴まろうと手を伸ばした。だが、その手が触れようとした瞬間、壮士はフッと避けて身体をかわした。
「壮士…」
また悲しくなって、歩は壮士を見上げた。
すると、自分を蔑むようにして見下ろす視線と出合った。
「やっぱり駄目だな、歩は…。頑張るとか言っても、やっぱりその程度だ。おまえなんか、何時まで経ったって俺達の所へは来れないんだよ」
その言葉に歩がハッとすると、壮士の隣には理沙が立っていた。
2人の手が繋がれているのを見て、歩は必死で首を振った。
「お、俺ッ…、俺、頑張るよ?もっと、もっと頑張るから。だから、そんな事言わないで?ちゃんと、追い着くから、だから待っててよ。お願いだから……」
だが、壮士は何も答えてくれなかった。
ただ、呆れたように理沙と顔を見合わせて笑った。
「壮士ッ」
また手を伸ばしたが、歩の手は届かなかった。
「壮士…、待って?壮士……」
手を伸ばすと届きそうなのに、指先が触れようとする瞬間、壮士はまた少し遠くへ行ってしまう。
そうして、歩の手は何時までも壮士に触れる事は無かった。
「待ってよッ。待って……」
「おい、沢口?おいっ」
揺すられて、歩は目を冷ました。
ハッとして見上げると、そこには覗き込む新田の顔があった。だが、何故かぼんやりとぼやけていた。
自分の目に涙が溜まっている事に気付き、歩は急いでそれを拭い取った。
「大丈夫か?変な夢でも見たのか?」
心配そうな新田に歩は首を振った。
「い、いいえ。大丈夫です、済みません…」
歩が起き上がると、新田はベッドの足元に置いてあった荷物から歩の制服を取った。
「気分が治ったなら、着替えろよ。家まで送って行く」
「あ、はい…」
返事をしてベッドから出ると、歩は練習着を脱ぎ始めた。
部室から自分と歩の荷物を取って来てくれたらしく、新田はもう制服に着替えていた。
「沢口って、ほんとに小せえなぁ…」
椅子に座って歩が着替えるのを見ていた新田がしみじみとした口調で言った。
カッと頬を染めた歩に気付くと、新田は慌てて言葉を繋いだ。
「あ、別に馬鹿にしてる訳じゃねえぞ?自分が馬鹿でっかいからさ、なんだか無性に可愛いっていうか…。あ、いや、可愛いなんて言われても嬉しくねえだろうけど…」
慌てて言葉を探そうとする新田に、歩は笑って見せた。
「いいです。俺、ほんとにチビだから、キャプテンみたいに大きい人、憧れます」
シャツのボタンを留めながら歩が言うと、新田は照れくさそうに笑った。
「でかけりゃイイってもんでもねえぞ。まあ、バスケやるのには有利かも知れねえけど。ウチじゃ、お袋や姉貴にいつも邪魔だって言われてるし…」
「そうなんですか?」
「ああ、その辺に寝っ転がってると、いつも踏まれるよ。しょっちゅう、頭もぶつけるしなー」
「へえ…」
新人の中でも1番下っ端とも言える歩から見ると、3年のレギュラーでしかもキャプテンの新田は、それこそ雲の上の人だった。
だから、こんな風に親しく話しをするのは初めてだったし、出来るとも思っていなかった。
少々緊張気味の歩だったが、気さくな新田のお陰で自然と緊張も解れてきた。
「沢口はいつも頑張ってるよなぁ…。今年入った1年の中でも1番熱心だって皆言ってるぜ」
新田に言われて、歩は驚いた。
自分など気にも留められていないだろうと思っていたのに、新田はちゃんと見ていてくれたのだ。
「お、俺…、皆みたいに経験者じゃ無いから、頑張らないと追い着けないし…」
少し恥ずかしくなって、歩は言い訳するようにそう言った。
着替えを終えて保健室を出ると、2人は昇降口で一旦別れた。
歩が靴を履き変えて出て行くと、新田はもう外で待っていた。
本当にこうして並ぶと、その大きさが改めて分かった。
歩の頭はやっと新田の胸に届くかどうかという感じだった。堀尾も大きかったが、新田は更にその堀尾より10センチは高いだろう。
当然、歩とは歩幅が違い、着いて行くには小走り気味にならなければ置いて行かれてしまう。すると、それに気付いたのか、新田が急に立ち止まった。
「悪りぃ…」
「い、いえ…」
歩が首を振ると新田は笑みを見せ、今度は歩に合わせてゆっくりと歩き出した。
「沢口、なんか悩みでもあるんか?」
「え?」
「校医も寝不足だとか言ってたし、さっきもおまえ、何だか魘されてるみたいだったぞ。もし、なんか悩んでて眠れないとかそんなんだったら……」
「い、いえ…。そんなんじゃないです。ほら、テスト前だし、ちょっと頑張っちゃったっていうか」
慌てて否定すると、新田は眉を寄せて歩を見下ろした。
「そうか?でも、もしなんかあるんなら、俺で良かったら言えよ?」
「あ、ありがとうございます」
遠くから見ているだけだった新田に気遣ってもらえた事が、歩には本当に嬉しかった。
自分の努力を、見てくれている人がいるのだと思うと、もっと頑張れるような気持ちになった。
さっきの夢が歩の心を重くさせていたが、新田と話をしたことで、ほんの少しだが軽くなったような気がした。
壮士へ
今日ね、初めてバスケ部のキャプテンと話しをしたんだ。
キャプテンは凄くでっかくて、多分190センチくらいあるかなぁ。
俺、今まで、あんなにでっかい人と並んだ事なかったよ。俺なんか、見上げなくちゃ話が出来ないんだ。
勿論、バスケも凄く上手くて、大学からもスカウトが来たりしてるんだよ。
いいよなぁ。
俺も、あんな風になれたらなって、すごく憧れる。
俺の事なんか名前も知らないのかと思ったけど、ちゃんと見ててくれて、すごく嬉しかった。
誰かに、見てもらえるのって嬉しい。
それが、壮士だったら
1番嬉しいけど。
もうすぐ、中間テストだね。
頑張らなくちゃ。
俺、ちゃんと勉強してるよ?
ホントだから。
壮士に結果を報告出来るくらいの成績だといいなぁ。
じゃあ、また。
歩
吐いたことも、校医に言われたことも、歩は母親に言わなかった。
そして、夜中過ぎまで勉強することも止めなかった。
(こんなことぐらいで休んでられない…)
休んだら、壮士に追いつけない。
理沙にもきっと、また馬鹿にされる。
(待ってて…。お願いだから。頑張るから……)
入学試験の時、歩は今の学校に真ん中ぐらいの成績で入った。
今度の試験では、絶対に30番以内に入りたかった。
試験まで後1週間だし、歩もさすがに明日からは朝練を休むことにした。
だが、その分、睡眠時間を増やした訳ではなかった。
「歩、まだ寝ないの?」
明かりが漏れているのに気づいたのか、母親が心配して様子を見に来た。
「うん、もうちょっと…」
「でも、もう4時よ。いい加減にしなさい」
「大丈夫。朝練はテスト終わるまで休むし、その分遅くまで寝られるから」
「遅くまでって言ったって、精々7時過ぎでしょう?3時間くらいしか寝られないじゃないのっ」
「平気…」
「平気じゃありませんッ」
持っていたシャープペンシルを取り上げられて、歩はハッとすると振り返った。
「母さん…」
「無理し過ぎよ。兎に角、もう寝なさい」
母親の剣幕に、歩は渋々頷いた。
「分かったよ」
勉強机の明かりを消し、歩はベッドに入った。
本当はかなり疲れていたのだろう。母親が部屋の明かりを消してドアを閉めた僅かの間に、歩はもう、眠りに落ちていた。
「…っ…てて…」
だが、眠った筈の歩の唇から、言葉が漏れた。
「待ってて……」