手紙
-10-
本当はまだ熱はかなり高かった。
だが、母親に7度ちょっとだと嘘をついて歩は学校へ行った。
身体がふらふらしたが、必死で意識を集中し、テストは何とか無事に終えた。
だが、終わった途端に気が抜けたのだろう。歩は机の上に頭を乗せたまま動けなくなってしまった。
「沢口?大丈夫か?」
先生が気付いて、すぐに声を掛けてきた。そして、ハァハァと荒い息を吐いて目を瞑る、歩の真っ赤な顔を見て眉を寄せた。
サッと、額と首筋に手を当てて、先生はギョッとしたような顔をした。
「沢口っ…、おまえ凄い熱じゃないかッ」
その言葉に、教室中がざわざわとし始めた。
そんな中で、堀尾が席を立って近付いて来ると歩を覗き込んだ。
「アユ?」
「ん…、だいじょ……ぶ…」
だが、そう言いながらも歩は目を開けようとしない。
堀尾は先生を押し退けるようにして屈みこむと、歩の身体を抱き上げた。
「先生、俺が保健室へ運びます」
「あ、ああ…。じゃ、頼む。先生は沢口の家に連絡するから」
堀尾は急いで歩を保健室まで運び、校医に診察してもらった。
「わ、9度2分。酷いな…」
熱を測った校医の言葉を聞いて、堀尾も驚いて、ベッドに横たわった歩の苦しげな顔を見た。
「アユ…」
声を掛けると、今度は薄っすらと目を開けた。
「ごめ…、ホリ…」
堀尾はすぐに首を振った。
「なに言ってんだよ。何でこんな無茶したんだ?今朝から調子悪いの分かってたんだろ?」
「だって、テスト…」
「そんなん、後からだって受けられるじゃねえッ」
「だって…、時間が勿体ない…」
「アユ…」
「やらなきゃなんないこと、あるんだ。いっぱい…、あるから」
それだけ言うと、歩は目を閉じてしまった。
高熱の所為で眠りに落ちたのだろう。
「歩…」
切なげな顔で堀尾が歩の手を握った。
だが、眠りに落ちてしまった歩がそれに気付くことはなかった。
目が覚めた時、歩は母親の車の中だった。
隣には堀尾が居て、自分の身体を支えてくれている。
きっと、保健室までそうしてくれたように、彼が車の中へも運び込んでくれたのだろう。
「ホリ?」
呼び掛けると堀尾がすぐに顔を覗き込んできた。
「ん?寝てていいぞ。着いたらまた運んでやるし」
「ごめ…。もう、大丈夫…」
身体を起こそうとすると、堀尾の手がそれを阻んだ。
また、彼の大きな身体に寄り掛かり歩は目を閉じた。
「まったくもう…、この子は…」
前の席から怒った母親の声がした。
「何度言っても、無理ばかりしてッ。結局は、こうやって堀尾君にまで迷惑掛けることになったのよッ。歩ッ」
「ごめんなさい…」
歩が謝ると、隣で堀尾が笑いながら言った。
「俺はいいっすよ、小母さん。全然、迷惑だなんて思ってないし」
「ほんとにごめんなさいね、堀尾君。君が居てくれて助かったわ…」
「いや…」
病院で診察を受けた後も、堀尾は歩の家まで付いて来た。また運んでくれるというのを断ると、堀尾は歩の身体を支えて家の中まで連れて行ってくれた。
だが、歩がベッドに入ったのを見ると、すぐに帰ってしまった。
「いい子ねえ…、堀尾君って」
感心したように母親が言うのに歩も頷いた。
「うん…」
「壮ちゃんも、ずいぶん歩の面倒を見てくれたけど。歩はいつもいい友達に恵まれて幸せだわ…」
壮ちゃん。
その名を聞いて、歩はギュッと目を瞑った。
壮士が来るまでに、歩は彼への思いを断ち切るつもりだった。
そして、壮士にもう1度会ったら、元の友達の頃に戻るのだと思った。
自分さえ、おかしな思いを抱かなければ、きっと壮士だって自分を避けなくなるだろう。元の様に、友達として傍に居ることを許してくれるだろう。
女の子と付き合ってみようかとも思った。
(彼女が出来たって言えば、壮士だって安心するかも知れない)
自分が普通なのだと知れば、壮士だってもう警戒したりしないだろう。
(そしたらもう、俺のこと、気持ち悪いって思わないよね…?)
前みたいに傍に居ても、拒絶しないで。
腕を掴んでも、触っても、振り払ったりしないで。
隣に居ることを、きっと許してくれる。
そして、以前のように、一緒にゲームをしたり、映画を見たり、それからバスケだって今度は一緒に出来る。
堀尾にも紹介して、3人で遊べるかも知れない。
もしかしたら、そこに理沙が居るかも知れないけど、それでももう平気だ。
もう妬いたりしない。
もし、壮士が理沙と手を繋いでも。
キスしても。
2人で見つめ合って、自分を見てくれなくても。
「うっ…」
平気だ。
平気。
だが、幾らそう思おうとしても、込み上げてくる切なさはどうにもならなかった。
「うう……」
涙と嗚咽が容赦なく込み上げてくる。
歩は布団の端を口の中に入れて、それをぐっと噛み締めた。
それから2日経ち、歩の熱もやっと平熱まで下がった。
テストの後は土日だったこともあり、歩は結局学校を休むことはなかった。
だが、母親に言い聞かせられて部活は体調が完全に戻るまで休むことになった。
放課後、堀尾と一緒に部室に行こうとすると怖い顔で睨まれた。
「休むことは監督にちゃんと言ってあるんだろ?だったら帰れ」
そう言われて歩は首を振った。
「休むけど、見学は出来るから。それに、ホントはもう、身体だって全然」
「駄目だ。アユは見学って言っても、来るときっとまた雑用やったりして休まないんだから。今日は絶対に駄目だぞ。ちゃんと家に帰って大人しくしてろ」
「やだよ。今日はホントに何にもしないで見てるから。な?いいだろ?」
家に帰って1人になると、また壮士のことばかり考えてしまう。歩はそれが怖かった。
すると、堀尾は大袈裟に溜め息をついた。
「仕方ないな。じゃあ、ほんとに見てるだけで何にもするなよ?約束だからな?」
「うんっ」
嬉しそうに頷くと、歩は堀尾と一緒に部室へ行った。
もう何人かの部員が来ていて着替えていたが、その中に新田の姿もあった。
監督には言ってあったが、歩は新田にも今日と明日は見学させてくれるように言った。
「ああ、聞いたよ。すげえ熱だったんだって?あんま、無理すんなよ?今日も帰っていいんだぜ」
「いえ。家に帰っても仕方ないし。みんなのプレイを見るだけでも勉強になるので」
「そうか?じゃあ、着替えなくていいから」
「はい」
返事をして頭を下げると、歩は着替え終わった堀尾と一緒に体育館へ向かった。
堀尾に釘を刺されたので雑用もせず、歩は時間になるまで練習を見学した。
片付けの当番の生徒数名だけが体育館に残り、歩は皆と一緒に一旦部室へ戻ろうとした。
すると、後ろから来た新田に声を掛けられた。
「沢口、今日暇か?ラーメンかなんか付き合わねえ?」
「えっ?お、俺とですか?」
まさか、新田が自分を誘ってくれるなんて思いもしなかった歩は、驚いて目を見張った。
3年が1年に声を掛けるなんてことは、用を言いつける時以外有り得なかったからだ。
傍に居た堀尾も新田の言葉に驚いたようだった。だが、すぐにちょっと面白くなさそうな表情になると言った。
「キャプテン、アユはまだ本調子じゃないし、ラーメンなんて無理っすよ。消化悪いし」
「あ、そうか。そうだな…、じゃあ、また今度…」
残念そうにそう言って笑った新田を見て、歩は前に出て来た堀尾を急いで押し退けた。
「済みませんッ、キャプテン。ありがとうございました」
誘ってもらったことに礼を言うと、新田はまた笑みを見せて頷き、部室の方へ歩いて行った。
「なんだよ、ホリ。俺、大丈夫なのに…」
少し詰るような口調で歩が言うと、堀尾はムッとした顔で見下ろした。
「行きたかったのかよ?」
「だって、折角キャプテンが…」
すると堀尾は腹立たしげに向き直って歩を睨み付けた。
「おまえ、キャプテンが声掛けた時、周りに居た1年がどんな顔して見てたか分かんなかったのか?」
「え?」
「それじゃなくたって、嫌がらせされたりしてんだぜ?キャプテンと個人的に付き合ったりしたら、また僻まれて何されるか分かったもんじゃねえ」
「ホリ…」
そこまで自分を心配してくれているのかと思うと、歩は堀尾の気持ちが嬉しかった。
「ありがと…」
「い、いや…」
素直に礼を言われて照れ臭くなったのか、堀尾は少し顔を赤らめると歩から視線を外した。
「あ、そうだ。今度さ、母さんがホリのことウチに連れて来いって。この前のお礼にご馳走したいってさ」
「えっ?そんな…、いいよ。別に大したことしてねえし…」
「そんなことないよ、凄く助かった。な?俺も来て欲しいし、明日でもおいでよ」
「う…、うん。じゃあ、お邪魔すっかな」
堀尾の答えに、歩は嬉しそうに笑った。
「うん。じゃあ、母さんに言っとく。それと、ついでにテストの答え合わせしようよ」
「えっ?い、いいよっ、そっちは遠慮しとく」
急に慌てた堀尾を見て歩は意地悪く笑った。
「遠慮すんなよー。堀尾君の実力を見せてもらわなくっちゃなぁ」
「うっ。くそぉ…、嫌味なヤツ」
言いながらがっくりと肩を落とした堀尾の大きな背中を、歩は愉快そうに叩いた。