手紙


-11-

母親に堀尾の返事を伝えると、喜んで何を作ろうかと楽しげに言った。
この前のことで、堀尾のことを随分と気に入ってしまったらしい。
堀尾には余り嫌いなものは無かったが、唯一、牛乳だけは苦手らしかった。歩がそれを伝えると、母親はウンウンと頷いた。
「じゃあ、ホワイトソースとかも駄目なのかしらねえ。やっぱり若いから、魚よりお肉の方がいいのかしら?」
「どっちも好きだと思うけど…。後はほんとに何でも食べるよ。ホリが何か残してるのって全然見たこと無いもん」
「そうなの。やっぱり、立派な身体してる子は違うわねえ。アユちゃんも、もっと一杯食べないと駄目よ」
お鉢が回ってきて、歩は肩を竦めるようにして台所を出た。
熱が出た所為で食べられず、また少し痩せたような気がする。
言われなくても、食べなければならないのは分かっていた。だが、体調の所為だけでなく、何かがいつも胸に詰まっているようで食べ物が余り喉を通らない。
この頃、歩は無意識に何度も唾を飲み込むようになっていた。
部屋に入って制服を脱ぎハンガーに掛けると、歩はクローゼットの扉を開けてそこに貼ってある鏡に身体を映した。
この前風呂場で見た時と変わらない。華奢でなよなよした子供っぽい身体だった。
両手を上げ、胸を押さえる。
どうせなら、ここに乳房があれば良かった。
それなら、壮士を好きになっても誰も何も言わないだろう。
壮士だって、もしかしたら、理沙ではなく自分を選んでくれたかも知れない。
だが、膨らんでいるのは胸ではなく、その下のブリーフの中だった。
バタンッ、と乱暴に扉を閉め、歩はクローゼットに背を向けた。
考えまいとしても、いつも、いつも、自分の頭の中には壮士がいた。
そして、どんなに努力しても、淫らな思いを断ち切ることが出来なかった。



翌日も、歩は部活を最後まで見学して堀尾と一緒に家まで帰って来た。
夕食の準備はほぼ出来ていたが、父親の帰りがまだだったので、歩は堀尾を自分の部屋に連れて行った。
「へえ、アユって、部屋もすげえ綺麗にしてんだなぁ」
歩のきちんと片付いた部屋を見て、堀尾は真剣に驚いて感心して見せた。
どうやら、その様子を見ると彼の部屋はかなり散らかっているらしい。
「こんなの見たら、俺の部屋になんか呼べねえよ」
その言葉に、歩は笑った。
「いいよ、散らかってたって。今度、ホリの家にも遊びに行きたい」
「ほんとか?うん、今度、遊びに来いよ。アユが来るなら、ちょっとはさ、頑張って片付けとくし…」
「だから、いいって片付けなくたって。俺、女の子じゃないし、そんなの気にしないよ」
「そっか…。そうだよな」
頷いた堀尾を促して座らせると、歩は母親に渡されたジュースのコップをテーブルの上に置いた。
「じゃあ、テストの答えを…」
「えーっ。ホントかよー」
嫌そうな顔をした堀尾に構わず、歩は机からこの前のテストの問題を持って来た。
「何から見る?」
「んじゃ現国…」
文系の苦手な堀尾は、1番自信の無い教科を先に済まそうとしてかそう言った。
教科書と照らし合わせて歩が答えを書き始めると、段々に大きな堀尾の身体が小さくなってきた。
「ぐあーっ。駄目だ、俺ッ…。半分まで来てるのにまだ2問ぐらいしか出来てねえッ」
その言葉に、歩は驚いて顔を上げた。
「嘘だろ?ホリ。それって、ヤバ過ぎ…」
「ああー、もうっ、止め、止め。いいんだ、俺、バスケを極めて大学入るしっ。3年になったら、今の新田さんなんて目じゃねえくらい、スカウトが来るもんねッ」
「あはは。すげえなぁ」
言いながら歩は、少し意地の悪い顔つきになって堀尾を見た。
「でもさー、その前に卒業しないと」
「うわっ…、キツッ」
信じられないものを見るような顔で堀尾は歩を見た。
歩はその表情に吹き出して笑った。


壮士へ

今日、中間テストの結果を貰ったよ。
俺は、学年で26番。
30番以内を目標にしてたから、まあ、クリアーしたけどね。
でも、こんなんで満足しないよ。
次は絶対に15番以内に入るから。

堀尾と一緒に、また朝練も始めたんだ。
壮士が来るまでには、少しは上手くなれるように頑張るよ。
そしたら、ちょっとは見てくれる?
見てくれるだけでいいんだ。
そしたら俺、もっと、もっと、頑張るから。



その日は堀尾が部活の後片付けの当番で、歩は部室で彼が終わるのを待っていようかと思っていた。
手伝ってもいいが、そうするとまた、他の1年が嫌味を言ったりするので、堀尾に言われてそれは止めることにしたのだ。
歩が着替え始めると、もう着替えを終えた新田が近寄って来た。
「沢口、帰り、なんか用事とかあるか?無かったら、付き合わねえ?」
「えッ?」
この前断ってから、その後は何も言ってくれなかったので、あの時の事は新田の気まぐれだったのだろうと思っていた。
だが、“また、今度”と言ったのは社交辞令ではなかったらしい。
「あの…」
新田の後ろから、1年と2年の部員が睨むようにこちらを見ていた。
皆で一緒に、という中に1年生が紛れるという事はあっても、3年のレギュラーが下級生1人に声を掛けることなど殆ど無かった。
しかも、それが新田となると、彼に憧れを抱いている者からすれば妬ましく思えても仕方ないだろう。
前に堀尾が心配した通り、この誘いを受けたらまた嫌がらせがエスカレートしかねなかった。
だが、折角誘ってくれたのを断るのは失礼過ぎる。それに、やはり新田に憧れている歩にすれば、勿体なくて断るなんて出来なかった。
「はい。何にも無いです」
答えると、新田は笑って頷いた。
「じゃあ、待ってるから、早く着替えろ」
「はいっ」
歩は急いで制服に着替えると、荷物を肩に担いだ。
すると、ベンチに座って待っていた新田が近寄って来て肩を叩いた。
「じゃあ、行こう」
「はい…」
残っていた皆の痛いような視線を浴びながら、歩は部室の全員に向かって挨拶をすると新田と一緒に外に出た。
「なにがいい?ラーメンかそれともハンバーガーとかがいいか?」
「あ、なんでも。キャプテンが好きなので」
この前送ってもらった時に少し話したが、それでもやはり緊張する。
堅苦しい話し方をする歩を見て、新田は笑った。
「そんなに緊張することねえだろ?この前だって、喋ったじゃねえ?」
「でも、キャプテンと2人だけでなんて、やっぱり緊張します。夢みたいで…」
「ばっ…、大袈裟だって」
照れくさそうな顔で笑いながら、新田は歩から目を逸らした。
「でも、皆キャプテンに憧れてるし…。俺だって、あんな風にプレー出来たらいいなって思って、いつも見てます。それに俺、この前も言ったけど、身体にコンプレックスあるから…」
すると新田は、また歩に視線を戻した。
「コンプレックスなんて感じる必要ねえよ。小さいのだって個性だと俺は思う。小さくたって世界でプレーしてる選手だって居るしな」
「キャプテン…」
「それより俺は、なんでも手抜きせずに一生懸命やってる沢口は偉いと思う。バスケだって初心者で身体だって小さくて不利だが、どんどん上手くなってる。多分、部活以外でも練習してるんだろ?」
まさか、新田がそれに気付いているとは思わなかった。
大勢の部員が居るのに、自分のような味噌っ粕みたいな存在をちゃんと見ていてくれたのだと思うと、歩は嬉しくて堪らなかった。
「実は……。朝、堀尾が付き合ってくれて練習してるんです」
打ち明けると、新田は納得して頷いた。
「やっぱりなぁ…。めきめき上手くなってるし、身体の切れも良くなってるから、そうじゃないかと思ってたんだ」
言いながら新田は嬉しそうな顔で歩の頭に手を載せた。
「偉いなぁ、沢口…」
「い、いえッ…」
その後、1番近くのファーストフード店へ入り、歩は新田にハンバーガーのセットを奢ってもらった。
自分で払うと言ったのだが、新田はいいからと言って払わせなかった。
向かい合って席に着くと、新田はジュースを取ってストローに口をつけた歩に言った。
「沢口は、堀尾と仲がいいよな。おんなじクラスなんだっけ?」
「そうです。あと、家も同じ方向で結構近くなんで」
「そうなのか。朝練は堀尾が誘ったのか?」
「いえ…。俺がこっそり1人でやってたんですけど、堀尾が気が付いて付き合ってくれるって言って…」
すると、その答えを聞いて、新田は躊躇いがちに口を開いた。
「なぁ…、おまえと堀尾って、付き合ってる訳じゃねえよな?」
その言葉に歩は吃驚してジュースに咽てしまった。
「ご、ごめん…。大丈夫か?」
長い腕を伸ばし、新田は歩の肩越しにその背中を叩いてくれた。
「す、すみませ…。大丈夫…」
手を上げて歩が言うと、新田は叩くのを止めた。
「悪い、吃驚させたか…」
歩はまだ少しドキドキとしながら苦笑した新田の顔を見た。
確かに自分は男の癖に壮士に対して友達以上の感情を抱いている。
そんな性癖が新田に見抜かれてしまったのかと思うと、苦しい程に鼓動が早くなった。
「な…、なんでですか?」
恐々と歩が訊くと新田はまた苦笑した。
「いや…。この前俺が誘った時の堀尾の態度がな…。まるで、彼女にちょっかい出されたみたいな感じだったから」
思っても見なかった言葉に、歩は驚いた。
堀尾はただ、自分を心配してくれただけだと思っていた。それなのに、新田はまったく別の印象を堀尾から受けたのだ。
「まるで、おまえを庇うみたいにして前に立ってたしなぁ。こんなこと言われるのは不本意かも知れんが、沢口は見た目も女の子以上に可愛いし、そんなこともあるのかと…」
「おッ…、俺、そんな……」
新田の言葉に戸惑いを隠せず、歩は思わず視線を逸らして下を向いた。