手紙


-13-

さすがに、堀尾と2人っきりで朝の練習を続けるのは憚られて、歩は行くのを止めようかと思った。
だが、もし堀尾が来ていたら、待たせるのも悪いと思った。 歩がいつもの時間に体育館へ行くと、そこに居たのは堀尾ではなく新田だった。
「キャプテン…」
「おお、おはよう」
驚いて駆け寄った歩を新田は笑顔で迎えた。
「どうしたんですか?」
「いや、俺らが部に居られるのは、もう余り長くないからな。合宿が始まる前に、少しでも沢口に教えられることは教えといてやりたいと思って」
「そ、そんな…、俺にだけ?」
歩が訊くと、新田はボリボリと頭を掻いた。
「好きなんだから、贔屓するのは当たり前だろ?」
臆面も無くそう言われ歩は頬を赤らめた。
「キャプテン…」
その時、入り口で新田を呼ぶ声がした。
振り返ると、険しい顔つきをした堀尾が立っていた。
「なんすか?待ち合わせしてたとか?」
面白くなさそうにそう言った堀尾に歩が慌てて首を振ると、その後ろから新田が言った。
「いや、俺が勝手に来たんだ。迷惑だったか?」
キャプテンの新田にそう言われては堀尾も首を振るしかなかった。
「いいえ…」
「なら、堀尾も入れよ。練習、始めよう」
新田の方はいつもと変わらない様子だったが、明らかに堀尾は不機嫌だった。
傍へ来た彼を歩は不安げな顔で見上げたが、堀尾は歩を見ようともしなかった。
(ホリ……)
どうしていいか分からなかった。
新田の気持ちは嬉しい。だが、そのことで堀尾と気まずくなるのは嫌だった。
はっきりと、自分がどちらかを選べばいいのだろうか。
(でも、俺……)
好きなのはやはり、壮士だけだった。
堀尾も新田も、友人や先輩として以上には思えない。壮士に対するような感情を持つことは出来なかった。
練習が終わり、新田は明日も来るからと言って体育館の前で別れた。
殆ど口を利かない仏頂面の堀尾の後を付いて歩は昇降口へ向かった。
靴を履き替えると、堀尾は突然、歩の手を掴んだ。
「ホリ?」
「行こう…」
「えっ?」
驚く歩の手を引き、堀尾はどんどん階段を上って行った。
そして、屋上まで歩を連れて行った。
「なに?ホリ、なんだよっ?」
とうとう屋上に着いて、歩は堀尾の手の中から自分の手を引き抜いた。
「アユ、ホントだよな?ホントに、キャプテンと待ち合わせしてたんじゃないんだよな?」
「ほ、ほんとだよっ。俺だって、今朝、来てみたらキャプテンが居たんで吃驚したんだから……」
その答えを聞いても堀尾の険しい表情は緩まなかった。
歩の腕を両手で掴み、身体を屈めてその目を覗き込んだ。
「俺と練習するより、キャプテンの方がいいのか?そりゃ、キャプテンの方が上手いけど、だけど、俺だってちゃんとアユのこと考えて……」
歩は慌てて首を振って見せた。
「ホリ、俺、そんなこと思ってないよ。そりゃ、キャプテンの気持ちは嬉しいけど、でも、今までホリに教えてもらったから少しずつでも上手くなれたんだし。ホリには本当に感謝してる」
「アユ…」
一瞬躊躇った後、堀尾は歩をギュッと抱き寄せた。
「アユッ、俺…」
ゴクッと堀尾の喉が鳴った。
気づいた時には、歩は堀尾に唇を奪われていた。
「うんっ…」
驚いて押し退けようとしたが、堀尾の強い力に歩はとても敵わなかった。
(いやッ…)
激しく首を振って歩は堀尾の唇から逃れた。
「アユ…」
尚も唇を押し付けようとする堀尾の顔を押し退け、歩は必死で抵抗した。
「嫌だッ、ホリッ…」
抵抗されて頭に血が上ったのか、堀尾は尚も強引に歩の身体を押さえつけた。
「なんでだよっ?やっぱり、キャプテンがいいのかッ?そうなのかッ?」
「違うッ、違うよッ。俺が好きなのはッ、好きなのはッ……」
その時、堀尾の腕の力が不意に緩んだ。
「壮士だけ…」
言った後で歩がハッとして見上げると、複雑な表情の堀尾がじっと自分を見ていた。
「壮士…?壮士って?」
歩は答えなかった。
堀尾の視線から逃れるように目を逸らすと、唇を噛んで俯いた。
「もしかして、そいつなのか?おまえがバスケ始めたのも、馬鹿にされまいとして頑張ってたのも、皆そいつの為なのか?」
答えない歩の腕を堀尾はまた両手で掴んだ。
「けど、そいつはおまえのこと好きじゃないんだろ?だって…、好きだったら、おまえのことガキっぽいとか男の癖にとか言う訳ない…」
「違うッ」
その言葉に、歩は顔を上げて叫んだ。
「壮士はそんなこと言ってない。そうじゃないよっ。壮士は…、壮士はただ……」
言いながら、歩の中で壮士の冷たい態度が思い出された。
「……ただ、俺のこと見てくれなくて…、でも、それはきっと、俺がちゃんとしてないからで、ちゃんと出来ないからで……。だから俺、壮士に少しでも近付きたいから、だからッ…」
歩の頬をいつの間にか涙が濡らしていた。
壮士に近付きたい一心で今まで頑張ってきたのに、今の自分はもう、その資格さえ失ってしまったのだ。
友達として傍に行くことはもう出来ない。それでは自分の心が満足してくれないだろう。
そして、それを知ったら、壮士はきっと自分を拒絶する。
拒絶して、そして2度と振り返ってくれないに違いなかった。
「アユッ…」
がくんっと揺すられ、歩は言葉を止めて堀尾の顔を見た。
「だから無理してたのか?飯も食えなくなるほど無理して、そうまでしておまえ…」
切なそうにそう言って、堀尾はまた歩を抱き寄せた。
「そんな奴、よせよ。もう、止めちまえよ。こんなにまで頑張ってるおまえを認めないようなヤツ、もう止めちまえよッ」
「ホリ…」
歩は目を閉じると、堀尾の胸に頬を預けた。
本当に、堀尾の言う通り、このまま壮士を忘れてしまえたらいいのにと思った。
壮士を忘れて、優しい堀尾を好きになれたら、どんなに救われるだろうか。
堀尾の腕はいつだって温かい。
温かくて、自分を包んでくれる。
それなのに、どうして、その腕を選べないのだろう。
遥か遠くにある壮士の手ばかりを恋しがってしまうのだろうか。
「ごめん、ホリ…」
歩の呟きを聞き、堀尾は悲しげに首を振りながら歩の身体を強く抱きしめた。


壮士へ

元気ですか?
もうすぐ夏休みだね?
夏休みに入ったら、すぐにバスケ部の合宿です。
俺たちの合宿の最後に日に、壮士たちが来るんだよね?

会えるよね?壮士。
俺、壮士に会いたい。
会いたいよ。
会いたい。
壮士に会いたい。
ちょっとでいいよ。
ほんのちょっとでいい。
話が出来なくてもいいんだ。
ほんのちょっとだけ、俺のこと見て。

お願いだから。
お願いです。



合宿が始まり、堀尾は以前通りに接しようと努力してくれているようだった。
それを感じるだけに、歩は彼に済まない気持ちで一杯だった。
一方、新田の方は相変わらず、練習の間は他の部員と歩を分け隔てたりはしなかったが、夜の自由時間になると、こっそり呼び出して内緒でお菓子をくれたりした。
子供扱いしている訳ではないだろう。
合宿中では、他に何かしてやりたいと思っても、それぐらいしかなかっただけなのだ。
「大丈夫か?今日、随分暑かったけど、バテてないか?」
呼び出すと、新田は必ず歩を心配して体調などを気遣ってくれた。
歩の身体が他の部員よりも小さくて体力も無いことを分かっているからだった。
「大丈夫です。ありがとうございます」
歩は新田の気持ちが嬉しかったが、余り馴れ馴れしくしないように気をつけていた。あくまでも、部の後輩として接する以上の親しさを持ってはいけないと思った。
そうすることで、自分に告白した新田に、必要以上の気を持たせることになるのは良くない。その気持ちに応えることが出来ないのだから、余り甘えては駄目だと思った。
本当は、もうはっきり答えを言った方がいいのかも知れないと思う。
だが、壮士のことを知った堀尾の傷ついた様子を思うと、新田にまで同じ思いをさせるのが怖かった。
「同室、誰だっけ?」
そう聞かれて、歩はすぐに答えた。
「堀尾と吉田と乾です」
「そうか、堀尾も一緒だっけな」
苦笑しながら言った所を見ると、やはり新田の方でも堀尾の存在を気にしているらしかった。
「なあ、沢口、堀尾もおまえに告ったんじゃないのか?」
歩が黙って俯くと、新田はやっぱりと言いたげに苦笑した。
「最近、何だかおまえ達の間が以前と違ったような気がして……、そうじゃないかと思ってたんだ」
なるべく、前と変わらないように接しているつもりでも、やはり何処かギクシャクしているのだろう。新田のように、2人の間が気になる人間から見れば、一目瞭然なのかも知れなかった。
「それで…答えたのか?」
不安げに訊かれ、歩は黙って首を振った。
「そうか。なぁ、俺に遠慮とかはしなくていいんだからな?」
言われて歩は顔を上げた。
「おまえがもし、堀尾と付き合いたいならそうしてくれていいんだ。……正直、俺を選んでくれたらいいと思ってるけど、でも、それはおまえが決めることだから」
「キャプテン…」
絶対に嫌だと言った堀尾とは、まったく異なることを新田は言った。
だが、それは、堀尾の方がより自分を好きだから、という訳ではないように歩は思った。
ただ新田は、自分の気持ちを1番に尊重してくれようとしているのだ。
「ありがとうございます」
宿舎に帰ると、部屋に居た堀尾が咎めるような目で歩を見た。
新田と会っていたことを察しているらしい。
歩は思わず目を逸らして、真っ直ぐ自分のベッドへ行った。
別に、堀尾と付き合っている訳ではないのだから後ろめたい思いをすることも無いのだが、それでも、堀尾の気持ちが分かっているだけに、歩は堂々とした態度を取ることが出来なかった。
「アユ、風呂、行かねえ?」
入浴の用意を持って近付いて来た堀尾に歩は首を振った。
「後で行くよ。ホリ、先に行ってて?」
「分かった」
堀尾が出て行って1人になると、歩はホッと息を付いた。 合宿も半分まで来た。
後3日で、壮士がここへやってくる。
予定表を見たら、入るのは午前10時になっていた。
歩達の最終日の予定は、早朝のジョギングの後に朝食で、その後、2時間ほどの練習をして解散になる。
多分、壮士が来る時には解散した後だろう。
だが、歩はすぐに帰らずに、壮士達が到着するまで待っているつもりだった。
(会えるんだ……)
夜になると、歩は壮士のことばかり考えていた。
もしも、自分を見つけて笑ってくれたら、どんなに嬉しいだろう。
“歩”と呼んでくれたら。
懐かしそうな顔をしてくれたら、それだけで泣いてしまうかも知れない。
(会いたいよ、壮士…)
あの晩、自覚してしまってからは、壮士のことを考えただけで身体が熱くなってしまう。 だが、歩はもう、決して壮士を想って身体を慰めたりはしなかった。
もう2度と、壮士を汚さないと決めたのだ。
そうでなければ、壮士に顔向けが出来ない。
それに、どんなに取り繕っても、きっと壮士に気付かれてしまうような気がして怖かった。
(もうすぐだ。もうすぐ会える…)
新田には強がりを言ったが、本当はもう、暑さと練習量の多さで歩の身体はかなりバテていた。だが、それでも弱音を吐こうとは思わなかった。
どんなに辛くても、壮士に会えるということが歩を支えていた。そして、頑張った歩に、合宿の最終日、もう一ついいことがあった。
次の練習試合に、1年生の中から数人が出してもらえることになったのだが、その中に歩の名前も入っていたのだ。
名前の入っていなかった他の1年は、自分よりも下手だと思っていた歩にいつの間にか抜かされていたことを悔しがったが、一緒に練習してくれていた堀尾は我が事の様に喜んでくれた。
「良かったなぁ、アユ。一生懸命やった甲斐があったな?」
「うんっ。ホリのお陰だよ、ありがとう」
「いや、俺は関係ねえよ。アユの努力だって…」
やはり練習に付き合って、沢山のことを教えてくれた新田にも礼を言いたかったが、そうもいかない。
歩はチラリと新田を見て、心の中で頭を下げた。
本当に、誰も見ていなかったら飛び上がるほど嬉しかったが、他の1年生の手前、余り大げさに喜ぶのは止めた。
だが、内心では嬉しくて堪らなかった。
努力が報われたことだけではない。 今日ここに来る壮士に、このことを報告出来ると思ったからだった。
これで、壮士も少しは自分を認めてくれるかも知れない。
もしかしたら、バディに触った時のように、よくやったと褒めてくれるかも知れない。
そしたら、どんなに嬉しいだろう。
弾む心を抱え、歩は壮士が来るのを待った。



解散後、一緒に帰ろうと言った堀尾に何とか言い訳をして誤魔化すと、歩は施設利用者のバスが停まる正面玄関の前で壮士の到着を待った。
荷物の上に腰を下ろして、ドキドキと鳴る胸を押さえる。
15分ほど待つと、大型バスが門を通って来るのが見えた。
(来たッ…)
立ち上がって、バスが来るのを待った。
歩の前を行き過ぎ、バスが停まる。
歩は、窓の中を、目を凝らして壮士の姿を探した。
部員達は立ち上がって網棚から自分の荷物を下ろすと、次々とバスから降りて玄関へ入って行く。
何人か、そこに立っている歩を不思議そうに見ながら行く部員も居た。
そして……。
とうとう、壮士がバスのタラップに姿を現した。
(壮士……)
やはり壮士は、別れた時よりも背が伸びて、そして男らしくなっていた。
(カッコいい、壮士…)
頬にカッと血が上るのが分かった。
中学の時よりも髪を伸ばして、大人っぽくなっている。きっと並んだら、堀尾と同じくらいの身長差があるだろう。
ドッ、ドッ、と歩の心臓が怖いほどに鼓動を早めた。
部のジャージ姿で大きなスポーツバッグを背負い、壮士はタラップを降りると、歩のすぐ傍に立った。
そして、後ろから来た他の部員と話しながら、正面玄関の中へ消えて行った。
(壮士……?)
呆然とその後姿を見送り、歩は立ち尽くした。
一度も……。
たった一度も、壮士は歩を見なかった。