手紙


-18-

今日は意識を失うことも無かったが、新田はそのまま歩に寝ているように言うと、自分は素早く服を着て階下に降りた。
そして、暫くして戻って来ると、持って来た熱いタオルで歩の身体を拭ってくれた。
「あ…、自分で出来ます」
歩がタオルを取ろうとすると、新田が遮った。
「いいから。ホントは、シャワー使わしてやりたいんだが、お袋が居るからな」
「いえ、大丈夫です」
 新田は頷くと、また歩の身体を拭き始めた。
「明日から10日までは部活があるけど、11日からは20日まで休みだ。お父さんも会社が休みに入るだろうし、お兄さんたちの方へ帰るのか?」
「父の休みが13日からなので、その日に帰るみたいですけど。俺は、残ろうかと思って」
「どうしてだ?」
「別に、理由は無いんですけど…」
本当は、壮士に会うのが嫌だったからだ。
前の家に帰れば、隣に住んでいる壮士と顔を合わせずに済む訳が無い。そして、またこの間のように無視されたらと思うと、怖くて堪らなかったのだ。
「なら、何処か、遊びに行こうか?ちょっと遠出して…」
「遠出?」
「ああ、電車で1時間も行くと水族館があるし…。行ったことあるか?」
「ありません。行きたいです」
歩が笑うと、新田も嬉しそうに笑った。



翌日、バスケ部の練習時間は朝の9時からだった。
部室で顔を合わせると、堀尾は、
「おはよう」
と挨拶はしてくれたが、それ以上の言葉を掛けることも無く、歩を残して体育館へ行ってしまった。
歩は寂しくて堪らなかったが、追い掛けて行って言葉を掛ける勇気も無かった。
そのまま、堀尾との余所余所しい雰囲気を払拭することも出来ず、練習を終えると、歩は1人で家まで帰って来た。
なんとか、堀尾と元のような関係に戻りたいとは思ったが、それはやはり無理なことだろうと諦めてもいた。
自分の気持ちと、堀尾の気持ちがすれ違っている限り、どうにもならない。
堀尾が自分に求めているのが友情以上だと分かってはいても、歩にはそれに答えることは出来ないのだ。
そして翌日も、やはり堀尾の態度は変わらなかった。
休憩中に、歩が濡れタオルを用意する為に水道の所まで行くと、少し離れた木陰に例の不良グループが集まっているのが見えた。
何度か歩の方を見て、ニヤニヤ笑いながら何か喋っているようだったが、こちらに近づいて来る様子もなかったので、歩も知らない振りをしていた。
練習が終わって帰る時、歩は警戒して彼らの姿を探したが、校庭の何処にも見えなかった。
「アユ…」
後ろから声を掛けられて振り返ると、堀尾が立っていた。
「ホリ…」
「あいつら、裏門の方に居るぞ。今日は表から出た方がいい」
歩たちの家に帰るには裏門から出た方が便利なので、いつもそっちを利用していたのだ。
こんな状態になっても、堀尾は歩のことを気に掛けていてくれたらしかった。
「ありがと、ホリ…」
嬉しくて、歩は笑みを見せてそう言った。
すると、堀尾はサッと目を逸らしてしまった。
思い切って、歩が一緒に帰ろうと言おうとした時、部室から新田が出て来た。
「歩、一緒に帰らないか?」
「あ…」
声を掛けられて歩が戸惑っていると、堀尾はクルリと背中を向けて新田に挨拶をして行ってしまった。
「堀尾と帰るつもりだったのか?」
別段、咎めるような口調ではなかったが、新田が堀尾の存在を気にしているらしいのは確かだった。
「いえ、違います」
「そうか?じゃあ、行こうか」
「はい」
裏門の方へ歩き出した新田に、歩は不良たちのことを言おうかどうしようか迷ったが、結局黙って付いて行った。
行ってみると、やはり彼らは門の手前にしゃがみこんでいた。
だが、さすがに新田の姿を見ると、ただ目線で追っただけで歩に何か言ってくることも無かった。
ホッとして通り過ぎ、歩は新田と一緒に裏門を出た。
翌日は、体育館を使用する他の部との兼ね合いもあって、練習は午後からだった。
1時から4時まで練習すると、片付けの当番だった歩は後に残った。
その日は丁度、新田が鍵の当番で、歩がボールを倉庫に仕舞いに行くと鍵を持ってやって来た。
「他の奴ら、帰ったか?」
「はい、もうみんな部室です。これを片付けたら終わりですから」
歩が答えると、新田は一緒にボールを倉庫へ仕舞い、そして歩の手を引いた。
「キャプテン…」
抱き寄せられて歩が躊躇うと、新田は腕に力を込めた。
「大丈夫。誰も来ないよ」
言いながら新田は歩の頬を両手で包み、唇を押し付けた。
だが、身長差があり過ぎてキスし辛かったのだろう。重ねられたマットの上に座ると、歩を引き寄せて自分の膝の上に抱き上げた。
まるで子供を扱うように抱き上げられてしまい、歩はカッと頬を火照らせた。
だが、そんなことを恥ずかしがっている暇も無く、歩はまた新田に唇を押し付けられた。
「んう…」
Tシャツの下に新田の手が入り込んで乳首に触れてきた。
ビクッ、ビクッと身体を震わせ、歩は新田のシャツを掴んだ。
そのまま新田は露出した歩の肌を吸った。
そしてまた、唇が戻ってきた。
新田の唇が離れた時、僅かに空いたドアの隙間に人影を感じ、歩はギクッとして目を凝らした。
だが、気の所為だったのか何も見えなかった。
「どうした?」
新田に訊かれて歩は首を振った。
「いえ、何でも…」
「もうちょっと、2人で居たいけど、ここは暑過ぎるな…」
苦笑しながらそう言い、新田は歩を膝から下ろした。
懸念していた不良グループも今日は姿を見せず、歩は電話すると約束した新田と別れて、帰路に付いた。



家に帰ると、玄関に見慣れない大きなスニーカーが脱いであった。
(佳兄が来たのかな…?)
長男の物にしてはサイズが大き過ぎる。歩は、次男の佳実が来ているのだろうと思い、その隣に靴を脱いで上がって行った。
「ただいま」
居間に入ると、ソファに誰かが座っていた。
そして、歩の声で振り返った。
「お帰り…」
立ち上がったその姿を見て、歩は驚きの余り言葉を失った。
そこに立っていたのは、佳実ではなかった。
「そう……し…」
バサリッ、と歩の肩から荷物がずり落ちた。
(な……に?…なんで?なんでッ……?)
頭の中が真っ白だった。
無意識に足が、1歩、2歩と下がっていく。
「アユ…?」
呼ばれて歩はビクッとして下がる足を止めた。
近付いて来る壮士。
確かに壮士だ。
(あ、そうか…。夢……?)
そう思ったら、ほんの少しだけ気持ちが落ち着いた。
きっと夢を見ているのだ。
だが、壮士の手が伸びて来て腕を掴まれると、歩は再びビクッと身体を震わせた。
(夢じゃない……?)
その確かな感触に、歩にまた恐怖が舞い戻った。
「や…」
怯えた小さな声が歩の口元から毀れた。
(怖いッ、怖い、怖いッ……)
あれほど会いたかった壮士が、今は怖くて堪らなかった。
それは、壮士に対して邪な感情を持ってしまった事への恐怖。
それを、壮士に見抜かれているのではないかという恐怖。
そして、最大の恐怖は、また拒絶されるのではないかという事だった。
掴まれた腕を振り払って歩が逃げようとした瞬間、キッチンから母親が顔を出した。
「あら、アユちゃん、お帰り。吃驚したでしょう?」
にこやかにそう言われ、歩はハッと我に返った。
「壮ちゃんね、隣町の、ほら、歩も合宿してたスポーツセンターで今日まで合宿だったんですって。ほんとは、もっと前に連絡受けてたんだけど、歩を吃驚させたいからって言われて内緒にしてたのよ。ごめんね?」
何の屈託も無い母親の様子に、歩の心も少しずつ落ち着いてきた。
「そ、そうなの……?」
引き攣った笑みをなんとか浮かべ、歩は言った。
「ひ、酷いよ…。2人して……お、俺、ホント吃驚して、心臓が止まるかと思った…」
「あら、大袈裟ねえ」
笑いながらそう言い、母親はテーブルの上にお茶のセットを並べた。
「お茶淹れるから、歩も早くシャワー浴びて着替えてらっしゃい」
言われて頷くと、歩は落とした荷物を拾って部屋へ向かった。
すると、その後姿に壮士が声を掛けた。
「歩の部屋、見せて?」
ドキッと、また心臓が跳ね上がった。
だが、歩は頷くと部屋のドアを開けた。
壮士が居る。
夢ではなく、ここに壮士が居るのだ。
すぐ傍に。
手の届く所に。
だが、会えたらどんなに嬉しいだろうと思っていた筈が、今は戸惑いと、そして恐怖が先に立って、歩は混乱から抜け出せなかった。
「わ、信じらんねえ…。これが歩の部屋?」
歩に付いて入るなり、壮士はそう言って部屋を見回した。
「前は、足の踏み場も無いほど散らかってたのに。まるで別人の部屋みたいだ」
「そりゃ、俺だって…、も……、高校生だし、少しは大人になったから…」
壮士の方を見ないようにして荷物を置くと、歩はクローゼットから着替えを取り出した。
すると、壮士が近付いて来て、その腕を掴んだ。
ビクンッと、また歩の身体が強張った。
「歩……、前に打った事、まだ怒ってるか?」
その言葉に、歩は驚いて振り返った。
「え……?お、怒って無いよ。俺、そんな…、だってあれは俺が悪かったんだし……」
「そっか…。でも、ごめん。痛かったよな?」
言いながら、壮士の手が歩の頬を包んだ。
「壮士…?」