手紙


-20-

夕飯が済むと、いつもはまた勉強を始める歩だったが、今日はもう止める事にした。
皆でテレビを見て、壮士の後に風呂に入って部屋に戻ると、壮士の布団がもうベッドの下に敷かれていた。
その上に横になり、壮士は小説を読んでいた。
それは、歩の本棚から出したらしかった。
「この作家の、俺も読んでるんだ。面白いよな?」
「あ、うん…。まだ最近読み始めたばっかりだけど、面白いね」
「本も随分読んでるんだなぁ。ほんと、驚くよ。前は、漫画しか読まなかったのに」
「う、うん…。読み始めると、本無しじゃいられない感じで…」
答えると、壮士は本から視線を外して歩を見た。
「なあ、ゲームしない?今、なにやってるんだ?」
「あ、ごめ……。ゲーム機無いんだ」
「えっ?」
壮士は驚いて上半身を起こした。
「引っ越す時、受験勉強の邪魔だと思って、あっちの家に置いてきちゃたんだ」
「へえ?あんなにゲーム、好きだったのに…」
「う、うん。でも、やらないと全然なんとも思わなくなるよ。ほんと、前には考えられなかったけど、無くても全然寂しいと思わないし…」
歩の答えを聞いて、壮士は傍らに本を置くと、布団の上に座り直した。
「歩、ホントに変わったんだな…」
「そ、そんなことないよ。同じだよ。相変わらず、駄目だし…」
言いながら歩はベッドに腰を下ろして壮士と向き合った。
「壮士は?相変わらず、成績がいいんだろ?」
すると、壮士は肩を竦めた。
「良くも無いよ。やっぱり、進学校だけあってみんな優秀だからな。俺なんて中の上から上の下を行ったり来たりって感じだな」
「そうなの?でも、バスケもやってるし、仕方ないんじゃない?」
「ああ、まあ…。やっぱり上位をキープしてる奴らは大抵部活はやって無いけどな。でも俺は、運動もしてないと身体の調子が悪くなる方だし。まあ、今ぐらいでいられるなら後は3年になってからの追い込みで何とかなるかとか、高を括ってたりして」
苦笑した壮士に歩は頷いた。
「バスケは?試合とか出てるの?」
「うん。まあ、準レギュラーぐらいかな」
「へえ…。やっぱり凄いな」
「そんなことないよ。進学校だから、運動部員は層が薄いんだ」
「でも、凄いよ。あ……」
1番訊きたかった事が口から出掛かって、歩は急いで口を噤んだ。
「なに?」
聞き返されて首を振ったが、壮士はじっと歩が口を開くのを待っていた。
「あ、あの……。そ、園田さん、元気?」
思い切って訊ねると、壮士はふっと笑った。
「まだ、あの時の事、気にしてるのか?」
「う、うん…。ちゃんと、謝らなかったから…」
「園田はもう、とっくに気にして無いと思うぞ。もっとも、俺ももう全然会って無いけどな…」
「えっ?どうして?」
歩が驚くと、壮士は苦笑した。
「園田とは、卒業前に別れたし…」
「そうなの?」
歩が聞き返すと、壮士はごろりと布団の上に寝そべって、また小説を手に取った。
「アユが気にする事なんか無いよ。あの時は、俺もおまえの剣幕に驚いて叩いたりしちまったけど、ほんとは園田の方が悪かったと思ってる。あんな言い方されたら、切れて当然だよ」
「壮士…」
思いがけない壮士の言葉だった。
歩は本を翳して読み始めた彼の横顔をじっと見つめた。
壮士は、大事な理沙を叩いた自分にきっと腹を立て、そして呆れてもいるのだろうとばかり思っていた。
だからこそ、自分を無視し続けていたのだろうとばかり思っていた。
そうではないのだとしたら、一体その理由は何だろうか。
やはり、歩自身さえ気付かなかった、この不自然な恋愛感情を壮士は敏感に感じ取っていたのだろうか。
「壮士……、なんで来たの?」
「え…?」
本を顔の前から退かし、壮士は歩を見上げた。
「ほんとは…、俺になんか、会いたくなかったんじゃないの?」
「アユ…」
壮士は起き上がると、歩の前に膝を着いた。
「やっぱり、怒ってるのか?無視したこと…」
訊かれて、歩は首を振った。
「そうじゃない」
「じゃあ、何でそんな事訊くんだ?俺は、歩に会いたいから来たんだ。他に、理由なんか無いよ」
「そう……」
歩は頷くと、諦めたように笑った。
「なら、いいんだ」



翌朝、歩は部活の練習の為に8時半に家を出た。
壮士は、やはり後から行くからと言って一緒には来なかった。
「場所分かる?」
歩が心配すると、母親が車で送って行くからと言うので、歩は彼を置いて1人で先に出て来たのだ。
バスに乗ると、最後尾の席に堀尾が乗っていた。
いつもの通学時間よりも遅いので、バスは余り混んでいなかった。少し躊躇ったが、歩は空いていた堀尾の隣に腰を下ろした。
「おはよ…」
「おはよう」
堀尾は相変わらず機嫌が悪そうな表情だったが、それでも挨拶を返してくれた。
「この前、ありがと。帰りの時…」
「ああ…。けど、教える必要なかったな。キャプテンが一緒なら、絡まれる心配もなかったし」
そう言われて、歩は黙った。
すると、堀尾の方が口を開いた。
「盆休みとか、あっちへ帰るのか?」
「あ、うん。父さんと母さんは帰る予定だけど」
「アユは?一緒に帰らねえの?」
「俺は…、まだ決めて無いんだ」
新田には帰らないと言ったが、それは壮士に会いたくなかったからだった。 だが、思いがけず再会してしまった今は、どちらでも良くなってしまった。
「そっか…。親がいなきゃ、大っぴらにキャプテンとデート出来るもんな」
「そ、そんな理由じゃないよッ…」
歩が慌てて言うと、堀尾は目を逸らしたままで口元を歪めた。
「いいじゃん。隠さなくたって…」
「ホリ…」
悲しくなって、歩は自分を見ようとしない堀尾から目を逸らした。
それきり、言葉を交わすことも無く、バスが学校近くのバス停に着くまで2人は黙って並んでいた。
練習中は、何時壮士が来るのかと気が気じゃなかったが、歩は意識して開け放された体育館の出入り口の方には目を向けないようにした。
もし、壮士の姿を見てしまったら、きっと動揺してしまうだろうと思ったからだった。
その所為か、とうとう練習が終わるまで壮士の姿を見つける事は無かった。
もしかすると気が変わって、やっぱり来なかったのだろうかと思ったが、部員の何人かは出入り口に立って暫く中を見ていた壮士に気付いていた者もいた。
「誰かの関係者かと思ったけど、その内帰っちゃったしな」
「冷やかしじゃねえ?じゃなきゃ、他の部のヤツとか」
「かもな」
蒸し風呂のような部室を使わず、この頃はみんな、体育館の隅で着替えてしまう。 その時、そんな会話が歩の耳に入った。
(やっぱり、来てたんだ…)
歩は気になって、チラリと新田と堀尾の方を見たが、2人に壮士の事を気に止めている様子は見えなかった。
「歩…、今晩、電話する」
みんなの目を盗んで、新田が帰り掛けた歩に耳打ちをした。
歩は頷いて、挨拶をすると体育館を出た。
今日は、新田は顧問と打ち合わせがあるらしく、まだ帰れないらしい。堀尾もさっさと帰ってしまった。
多分もう、以前のように堀尾と仲良く並んで帰る事は出来ないかも知れない。 そう思うと、歩は無性に寂しかった。
バスを降りてから、家までの途中にあるコンビニに歩は足を向けた。
余りの暑さに喉が渇いたのだが、持って行った水筒の中身は飲み干してしまっていたのだ。
「あれ…、歩ちゃんだー」
声を掛けられてそちらを見ると、雑誌売り場の前にあの不良グループが居た。
驚いたが、意識して顔には出さず、歩は遠回りして清涼飲料水の売り場へ行った。
急いで、目的のジュースを取ると、早足でレジへ向かって金を払う。その間に、不良グループは外へ出て行った。
まさか、外で待ち伏せしているのかと緊張して表へ出たが、そこには彼らの姿は無かった。
ホッとしてペットボトルのキャップを開けると、歩はジュースを飲み干してその空容器をゴミ箱へ入れた。
しかし、何故彼らがこんな所に居たのだろう。今までに、この近辺で彼らの姿を見た覚えは無かった。
まさか、自分の家を調べてやってきたのだろうか。
(まさか…)
そこまで、彼らに執着される覚えは無い。
この間は、暇を持て余していた彼らの前に、たまたまそこに居た歩が恰好のからかいの材料になってしまっただけだろう。
今日も、何かの用でこの近辺へやって来ただけに違いない。 それに偶然遭遇してしまっただけなのだ。
そう結論付けると、歩は家に向かって歩き出した。
帰れば壮士が居るのかと思うと、なんだか気後れがした。
だが、まさか帰らない訳にもいかない。それに、行く所も無かった。
玄関の前で大きく深呼吸をすると、歩はドアを開けて中へ入った。
壮士は母親と2人で、食卓で素麺を食べていた。
「お帰り」
「ただ今…」
笑いかけられて、歩も何とか笑みを返した。
「歩もお腹空いたでしょ?手だけ洗って、先に食べちゃう?」
母親に訊かれて歩は頷いた。 手を洗って戻って来ると、歩の分の麺つゆがガラスの容器に入って置かれていた。
「今日、来たの?壮士…」
つゆに薬味を入れながら歩が訊くと壮士は頷いた。
「行ったよ。気がつかなかったのか?」
「ごめん。夢中で見て無かった」
「いや、いいけど…」
笑いながら壮士は言った。
「やっぱ歩、結構上手いな。身体も良く動いてるし、反応が早いよ。でっかいヤツが前に立っても、その下を潜り抜けるみたいにしてドリブルで進んでいくんだもんな。カッコ良かったよ」
「ほ、ほんと?」
壮士から、まさか“カッコいい”なんて言葉を聞けるとは思ってもみなかった。
歩が驚いて見つめると、壮士はおかしそうに笑った。
「うん。歩にお世辞言ったって仕方ないじゃん」
「う、うん…」
歩が頷くと、母親が嬉しそうに言った。
「歩、他の人の何倍も練習してるのよ。バスケ部のキャプテンにも可愛がってもらっててね、朝も練習に付き合ってくれるのよねえ?」
「キャプテン?」
言いながら、壮士は少し険しい顔になった。
「ああ、あの特別にでっかい…。確かに、上手いなあの人。プレーが光ってた」
「そうでしょ?カッコいいのよー、キャプテン。小母さんも試合見に行ってファンになっちゃった」
「はは…。歩、そのキャプテンに特別に目を掛けてもらってんだ?」
「そ、そんなことないよ。キャプテンは、みんなに優しいんだ。俺だけって訳じゃない」
歩が慌てて否定すると、壮士は気の無さそうに頷いて、素麺を掬ってつゆの中へ入れた。
「明日はもう、練習無いんだろ?何処か行こうよ」
「え?何処へ?」
歩が聞き返すと、壮士は顔を上げて歩を見た。
「何処でもいいけど?だって俺、こっちは全然知らないし…。歩、何処か連れてってくれよ」
「でも、遊ぶトコって…」
歩が戸惑うと、母親がまた口を出した。
「水族館は?ちょっと遠いけど、結構面白いらしいわよ。歩もまだ、行った事なかったじゃない?」
水族館は新田と行こうと約束していた。
それを思って歩が返事を躊躇うと、先に壮士が口を開いた。
「いいなー。水族館って、結構好きなんだ。じゃあ、そこに連れてってくれよ」
「あ、う、うん。いいよ…」
断れば理由を話さなければならない。それは無理なことだった。
新田に行こうと言われたら、もう一度行けばいいだけだ。歩はそう思って承知した。