手紙


-22-

その後も、人ごみに押されながら水槽を回り、2人はショーまでの時間潰しを兼ねてレストランへ入った。
そこも一杯だったが、まだ時間が少し早かった所為か運良く1つだけ空席があった。
もっとも、空いていた席はオープンテラスになっている庭の方で、クーラーの効いた室内は満席だった。
だが、日差し避けにテーブルには大きなパラソルが付いていたので日陰にはなっているようだった。
冷製のパスタと飲み物を頼み、汗を拭きながら2人は食事を終えた。
だが、近くに海岸がある所為か、そこからの風が吹いて来るので思ったよりは熱くない。
少し離れた席に女の子が2人で座っていて、さっきからこちらを見て何やら話をしている。 多分、壮士を見ているのだろうと歩は思った。
やがて、席を立ったので帰るのかと思ったら、2人は歩たちの方へ近付いて来た。
「こんにちは。2人なんですか?」
背の高い方の子がそう言って壮士に話し掛けて来た。
同じ年頃なのだろうが、ちゃんとメイクしている彼女たちは、少なくとも歩よりはずっと年上に見えた。
「そうだけど…」
少々迷惑そうな表情を浮かべて壮士が答えると、彼女はチラリと歩を見て言った。
「弟さん?」
そう訊かれて、歩の頬にカッと血が上った。
やはり2人は、歩を実際よりずっと年下に見ているに違いなかった。
それで無くとも幼く見える歩だったが、壮士と並ぶと、その小ささや子供っぽさが尚更強調されるのだろう。
「違うよ。何か用ですか?何も無いなら、俺たちもう行くから…」
不機嫌な口調でそう言うと、壮士は立ち上がって歩の腕を掴んだ。
「あ、あの…、良かったら一緒に遊ばない?」
慌てて女の子が言うのに、壮士は即座に首を振った。
「いや、悪いけど…。アユ、行こう」
歩を促して席を立つと、壮士はその腕を取ったままレストランを出た。
「そ、壮士?」
まだ掴まれたままだった腕を、歩は取り戻そうとして引っ張った。
それに気付き、壮士は立ち止まってやっと手を離した。
「良かったの?」
「え?」
歩が訊くと、壮士は怪訝そうに眉を寄せた。
「結構、可愛い子たちだったし…。俺のことなんか、気にしなくても良かったのに」
その言葉を聞いて、壮士は険しい顔になると歩から目を逸らした。
「馬鹿じゃねえ?俺、そんなに飢えてねえし」
「あ。ごめ……」
歩が慌てて言うと、壮士は怒ったように歩を置いて歩き出した。
「壮士っ、まっ……」

“待って”

そう言おうとして、歩は言葉を飲み込んだ。
また、自分に背を向けて、壮士は行ってしまうのだろうか。
このまま、置き去りにされてしまうのだろうか。
過去のこと、それから夢で何度も見た光景。
そんなすべてが蘇って、歩の脚を竦ませた。
だが、追いかけることが出来ずにいる歩を、壮士は振り返った。
「アユ?」
(壮士……)
振り向いてくれたことが嬉しくて、歩の脚がやっと一歩前に出た。
すると、怪訝そうな顔で壮士が戻って来た。
「なんだよ?怒ったのか?」
訊かれて、歩は急いで首を振った。
「ううんっ、違う…」
壮士はまだ怪訝そうな顔で歩を見ると、その手を取って引いた。
「ほら、行こ?ショーの会場に行って並んでないと座れないぞ」
「うん」
壮士に手を引かれてついて歩きながら、歩は嬉しくて堪らなかった。
(壮士が、振り返ってくれた…。戻って来てくれた…)
いつも、いつも、その背中ばかりを見ていたけれど、もしかしたら元のように、また隣を並んで歩けるのだろうか。
(壮士の時間、もっと貰えるの?)
それは、壮士が家に帰ってしまうまでのことかも知れない。
歩が思ったように、自分の中の罪悪感を減らそうとしてしているからでもいい。それでも、歩は嬉しかった。
その時、壮士のポケットで携帯の着信音が響いた。
「あ……」
メールだったらしく、取り出して画面を見ると、壮士は返信を打たずにまたポケットへ仕舞った。
「いいの?返事…」
歩が訊くと、壮士は頷いた。
「ああ。後で電話するし…。1日1回は電話しないと煩いからな」
その答えに、歩はすぐに気がついた。
「か、彼女?」
「ああ、まあな…」
答えを聞いて、さっきまでの嬉しかった気持ちが、歩の中で萎んでいった。
そうだ。理沙と別れたと言っても、他に付き合っている人がいないとは言っていない。
壮士なら、彼女がいて、当然だろう。
さっきだって、女の子に声を掛けられても、最初から迷惑そうだったではないか。飢えていないと、はっきりと言っていたではないか。
(馬鹿だな、俺って…。ホントに馬鹿…)
期待なんかしていないと、そう思っていた筈だった。
でも、心の何処かでは、きっと何かを期待していたのだ。
(あり得ないのに……)
手を引いてくれたり、振り返ってくれたり、そんな些細な事で、益々期待を膨らませていたに違いなかった。
「そっか。相変わらずモテるんだな、壮士は…」
力の抜けた声で、呟くように歩が言うと壮士は笑った。
「自分だって、彼女いるくせに…」
「お、俺は……」
俯き掛けた歩は、壮士の視線に気付いて顔を上げた。
「まさか…、彼氏だなんて言わないよな?」
疑うようなその視線に、歩は息を呑んだ。

男の癖に……

歩は怯えたように首を振った。

男の癖に、歩は男に襲われた。

また、ブルブルッと首を振る。

歩は男とセックスしてるんだ。

「ちが…、俺……俺…」
「アユ…?」
壮士に知られたら、今度こそ……。
「冗談だよ、アユ。そんな顔するなって」
言いながら苦笑して、壮士は目を逸らした。
(ホントに、冗談……?)
本当は気付いているのではないだろうか。
そう思うと、怖くて、歩の身体の震えは中々止まらなかった。



イルカとアシカのショーを見て、それから、まだ見ていなかった残りの水槽を見ると、2人は水族館を後にした。
駅から電話を入れると、母親は今晩、友達と観劇に出掛けるので留守にすると言う。父もどうせ残業なので、夕飯は壮士と2人で食べるようにと言われた。
「どうする?外で食べる?」
歩が訊くと、壮士は頷いた。
「そうだな。俺は、コンビニでも何でもいいけど」
だが歩は、壮士と2人っきりで家の中で食べるのは気が進まなかった。
前には感じたことが無かったが、今はなんだか息苦しい。
「ファミレスでも行こうよ。ウチの近くにあるし」
歩が言うと、壮士はすぐに頷いた。
「ああ。じゃあ、そうしようか…。なあ、時間あるし、海に寄って行かねえ?」
「え…?」
確かに、ここからなら歩いて海岸まで行けそうだった。
だが、真夏の海水浴シーズンにに着衣のままで海へ行くのは悪目立ちしそうだった。
歩が躊躇っていると、壮士はまた彼の手を掴んで引いた。
「堤防のトコまででいいから行こう?……な?」
「う、うん…」
折角駅までやって来たが、歩は壮士について回れ右をすると、海方面へ向かって歩き出した。



10分も歩くと、磯の香りがした。
目の前の坂を下っていくと海岸に出るらしい。だが、その手前に遊泳禁止の看板が出ていた。
「あれ?なんだ…。でも、泳げないなら人もいないかな?」
言いながら坂を下ると堤防が見えた。
海岸は砂浜が無く、石がゴロゴロしている。確かに、海水浴場には向かない感じだった。
だが、そのお陰で人は数人の釣り人くらいしかいない。 2人は堤防の階段を降りて行った。
「あ…、少しあっちまで行くと砂浜がある。行こう?アユ」
「うん」
壮士の指差した先には確かに砂浜が見えた。
地元の人らしい親子連れが、犬と一緒に遊んでいる。さすがに、海からの風で、さっきよりずっと涼しい感じがした。
「うーん……汐の匂いがする」
砂浜に着き、歩きながら伸びをして、壮士が言った。
その足跡を辿るようにして、歩は付いて行った。
合わせると自分の足跡より5センチ近く大きい。その事実が、無性に悲しかった。
「俺…、何で成長しないんだろう?」
あの日、気付いた事をまた思い出して歩は呟いた。
「うん?なんか言ったか?」
壮士が振り返って訊いたが、歩は首を振った。
「ううん…。何にも…」
すると、壮士は立ち止まって歩が近付いて来るのを待っていた。
「楽しくないみたいだな、俺と居るの…」
「え…?」
「俺が来たの、迷惑だったか?ホントは、会いたくなかった?」
「う…、ううんッ。そんなこと…、そんなことないよッ」
会いたかった。会いたくて、会いたくて、堪らなかった。
だが、それを伝えることが歩には難しかった。
その気持ちはもう、純粋とは言えなかったから。
伝えようとすれば、別の感情が入り込んでしまいそうだったから…。
「会えて嬉しい。そう言ったじゃん…」
だが、その言葉を言う時に、歩は壮士の眼を見ることが出来なかった。
「アユ…、俺のことが怖いんじゃないのか?」
「えっ?」
顔を上げると、目の前に壮士が居た。そして、壮士の両手が歩の肩の上に乗った。
びくんっと歩の身体が勝手に震える。それを見て、壮士は眉を顰めた。
「ほら…。俺が近付いたり触ったりすると、いつも震える。また、暴力でも振るわれると思ってるのか?」
「ちっ…、ちがッ…」
慌てて首を振ったが、壮士の眉間に寄った皺は消えなかった。
「嘘つかなくていいぞ」
「う、嘘じゃな……」
だが、言葉が最後まで続かなかった。
何故なら、壮士のことを怖がっているのは事実だったからだ。
壮士自身が怖いのではない。だが、壮士に嫌われることが怖い。
また、拒絶されるのではないかと、常に考えてしまうのだ。
フッと溜息をつき、壮士は歩の肩から手を外した。
「歩が嫌なら、俺…、明日帰るよ」
「やっ…」
慌てて首を振ったが、もう壮士は見ていなかった。
「壮士ッ、帰らないでよッ…」
その背中に向かって、歩は叫んだ。
すると、数歩歩いた足を止め、壮士は振り返った。
「帰らないでっ…」
「アユ…」
「壮士が来てくれて嬉しいよ。ホントだよ?ホントだから…」
必死で言い募る歩を見て、壮士はフッと笑って頷いた。
「分かった…」
だが、その言葉を信じていないのか、壮士はまた背を向けると砂浜を歩き始めた。
(壮士…。嫌だッ、帰らないでよ…)
追い掛けて行って、その背中に抱きつけたらどんなにいいだろうか。
以前の無邪気だった自分なら、きっと形振り構わずそうしていただろう。
だが、今の歩には、それはもう無理なことだった。