手紙


-21-

夜になって、歩の携帯に新田から電話がかかって来た。
壮士の眼を避けるようにして部屋に入ると、歩は新田と話し始めた。
「今晩は…」
「ああ、何してた?」
「別に…、テレビ見てました」
「そうか。明日なんだけど、空いてるか?」
「あ…、ごめんなさい。明日はちょっと…」
まさか、壮士と一緒に出掛けるとは言えない。歩は、言葉を濁した。
「予定入ってるのか?」
「はい。済みません」
「いいよ、謝ることじゃない。じゃあ、明後日は?」
「明後日は大丈夫です」
「なら、この前言った水族館に行かないか?」
やっぱり、誘われてしまった。
2日連続になるが仕方がないだろう。歩は新田に返事をした。
「はい、行きたいです」
「じゃあ、10時頃迎えに行くな?」
「い、いえ。あの、ウチまで来ると遠回りだから、駅で待ち合わせしましょう?」
家に来られて新田に壮士の存在を知られたくなかった。
歩が言うと、新田は承知してくれた。
ホッとして、歩は電話を切った。
「何処か行くのか?」
声を掛けられて、歩はギクッとして振り返った。
さっき、ドアをちゃんと閉めるのを忘れていた。半分ほど開いたドアの向こうに、壮士が立っていた。
「あ、明日じゃないよ。明後日…」
「例の、キャプテンと?」
部屋の中に入って来て、ドアを閉めると、壮士は言った。
「ホントに可愛がられてんだな、アユ」
「ち、違うって、たまたま…」
目を逸らした歩の隣に壮士は腰を下ろした。
「でも、2人っきりで出掛けるんだろ?普通、3年が1年と2人でなんか出掛けないぜ?」
「そ、そうなの?ウチのキャプテンは気さくだから…」
「みんな一緒に、ってなら分かるけど、2人っきりなんて、余程気に入られてるとしか思えないよ」
言いながら、壮士は歩の鎖骨の辺りをじっと見た。
今日は襟の開いた服は着ていなかったが、その視線に気付き、歩は思わず襟元を掴んだ。
「歩の彼女ってさ…、同じガッコ?」
ブンブン、と歩は思わず激しく首を振った。
「年上とか?歩、可愛がられるタイプだもんな」
笑いながらそう言われ、歩はまた首を振った。
「そ、そんなことないよ…」
「でも、チューとかしてんだろ?」
「そ……」
訊かれて真っ赤になり、歩は口篭った。
「なんか、信じられねえなぁ…。おまえ、嘘みたいにガキだったのに…」
言いながら、壮士の手が歩の胸に触れた。
「こんなトコにキスマークなんか付けて…。アユが女とエッチしてるなんて想像出来ない…」
「やッ、やめてッ」
歩は壮士の手を振り払った。
「お、俺ッ、そんな事してない。誰とも、そんな事してないよッ」
そう言うと、歩は逃げるように部屋を出た。

嫌だ。嫌だ、嫌だッ…。

新田に抱かれていることを、壮士にだけは絶対に知られたくなかった。
自分が、そういう種類の人間だと知ったら、壮士はきっとまた以前のように自分を拒絶するに違いない。
それを思うと、歩の脚は恐怖に震え出した。
まるで自分が犯罪を隠しているかのように、歩は壮士の視線が怖かった。



壮士が寝るのを待って、歩は部屋に戻るとベッドに入った。
だが、中々寝付けなかった。
すぐそこに壮士が居るのだと思うと、気になって落ち着かない。昨夜も、眠りに落ちたのは夜が明ける頃だった。
ハーッと、溜息をつき、また寝返りを打つ。
明日は壮士と一緒に出掛けるのだ。
一緒に何処かへ遊びに行くなんて、随分久し振りの事だった。
中学3年になってからは、2人で遊ぶ事など殆ど無くなってしまったから、前の歩だったらきっと嬉しくて堪らなかっただろう。
今だって、勿論嬉しい気持ちが無い訳ではない。
幾ら諦めようと決めたからといっても、壮士を好きな気持ちには変わりが無いのだ。2人っきりで出掛けられるなんて、本当に夢のような気分だった。
だが、それ以上に不安でもあり、怖くもあったのだ。
さっきの電話で、まさか自分と新田の仲を感づいたのではないだろうか。
本心はどうなのか分からないが、折角こうして壮士の方から歩み寄ってくれたのに、また、最悪の別れ方をする事になったらと思うと、歩は怖くて堪らなかった。
もう、言ってしまおうかとも思った。
きちんと自分の気持ちを告げて、そして思い切り嫌われてしまった方がいいのかも知れない。そうすれば、今度こそきっぱりと諦めることが出来るのかも知れない。
だが、どうしても、その勇気が起きなかった。
また大きな溜息をつき、歩は何度目かの寝返りを打った。



殆ど眠れずに朝を迎えると、歩は壮士と一緒に朝食を食べ、10時過ぎに家を出た。
電車は余り混んでいなかったので、2人は並んで腰を下ろすことが出来た。
「歩、昨夜、あんまり眠れなかったのか?」
何度も欠伸を噛み殺している歩を見て、壮士が言った。
「う、うん…」
歩が頷くと、壮士の手が伸びて歩の頭を自分の方へ引き寄せた。
「寄り掛かって眠ってっていいぞ。駅に着いたら起こしてやるし」
「いっ、いいよっ」
歩が慌てて離れると、壮士は怪訝そうに歩を見た。
「なんで?寝てけよ」
「い、いい。大丈夫…」
壮士の肩など借りたら、ドキドキして眠る所じゃ無い。歩はそう言って目を逸らした。
以前なら、言われなくたって、いや、壮士が例え迷惑そうにしたって引っ付いていた歩だった。
だが、今はもう壮士に対する想いが違う。無邪気に肩を借りられるような精神状態ではなくなってしまった。
「今日、来るの嫌だったか?」
突然そう訊かれて、歩は驚いて壮士を見た。
「な、なんで?そんな事無いよ」
些か不機嫌そうな顔で、壮士は目を逸らすと窓の外に目をやった。
「ホントは今日、例のキャプテンと約束してたんだろ?悪かったな、突然、出掛けようなんて言ったりして…」
「ちがッ…。違うよ、ホントに今日は約束なんかしてなかった。それに、壮士と出掛けるの嬉しいよ。久し振りだし、俺、すごく楽しみにして……」
言いながら、歩は悲しくなってきた。
折角、壮士が出掛けようと言ってくれたのに、彼を不快な気分にさせていたのだと思うと、情けない思いがしたのだ。
「ホントに、こんなこと、もう2度と無いのかもって、思ってたし…」
「アユ…」
滲みそうになった涙を急いで拭い取ると、歩は顔を上げて笑った。
泣いたらまた、壮士に嫌な思いをさせるだろうと思ったからだ。
「また、壮士の時間を貰えるなんて思って無かったら、ホントに嬉しいよ」
「俺の時間?」
聞き返されて歩はハッとすると、また目を逸らしてしまった。
「ううん。だって、ほら…、受験の頃は忙しかったから、壮士、何時も時間が足りなさそうだったし…」
「そうだな。あの頃は、余裕無かったかもな…」
壮士の答えに頷いたが、歩はその表情に胸が騒ぐのを感じた。
壮士が何を考えているのかは分からなかったが、口に出した答えと、その胸の内は違うような気がしてならなかったのだ。



夏休みの所為か、水族館はかなりの人出 だった。
イルカやアシカのショーを見るのにも整理券が出ていたので、歩たちもそれを貰って、時間まで他の水槽を巡った。
人気のある水槽は、かなり順番を待たないと前の方では見られなかった。
人並みに押され、小さな歩はすぐに壮士の傍から離れてしまった。その身体を、壮士が長い腕で巻き込むようにして引き寄せた。
「い、いいよ、壮士…」
手を繋がれて歩が振り解こうとすると、壮士の手にギュッと力が篭った。
「はぐれたら、探すの大変だぞ。この人なんだから」
言われて、歩は頷くと、仕方なく壮士と手を繋いだまま歩いた。
もっとも、館内は薄暗いし、人だらけだしで、2人が手を繋いでいる事に気づいた人間もいなかっただろう。
だが、歩は繋がれた手から胸に向けて、まるで心音が上ってくるような錯覚に囚われた。
息苦しくて、何度も何度も気付かれないように深く息を吸い込んだ。
壮士と手を繋いでいる。
もう、そのことだけしか頭には無くなり、何処を歩いても何も目に入らない状態だった。
(何で、こんなことするの…?)
何故、こんなに優しいのだろう。
どうして、今更、優しくするのだろう。
歩には、壮士の気持ちがまるで分からなかった。
(期待させないでよ。今更、俺に期待させないで…)
そう思って目を瞑った瞬間、壮士がグッと歩を引き寄せた。
驚いて目を開けると、隣を歩いていた男が構えていたビデオカメラが、歩に当たりそうになっていた。
「周り見てないと危ないぞ」
「ごめ…。ありがと…」
ドキドキと鳴る胸を押さえ、歩はサッと壮士から身体を離した。