手紙


-27-

堀尾の家に着くと、彼は歩を背負ったままバスルームへ連れて行った。
湯船の蓋の上に歩を腰掛けさせると、洗面器にお湯を入れ丁寧に足を洗ってくれた。
そして、足の裏の切り傷に絆創膏を貼ると、今度は歩を抱き上げて自分の部屋まで運んだ。
「ごめんな?部屋、汚くて…」
言われて歩は首を振った。
「俺のベッドじゃ嫌か?熱があるなら、少し眠った方がいいんだけど…」
「うん、平気…」
答えると、堀尾は歩をベッドの上に下ろした。
そして、額に手をやると言った。
「ほんとだ。さっきも背負ってる時、随分熱いなって思ったんだ。冷却シートがあると思うから持ってくるよ」
「うん。……ホリ?」
「うん?」
「ありがと…」
「なに言ってんだよ」
堀尾はそう言って笑うと、部屋を出て行った。
「壮士…、迎えに来てくれた……」
呟いて、歩は目を閉じた。
「あんなに走って…。この辺のこと知らないのに、俺のこと探してくれたんだ…」
言いながら、鼻の奥が熱くなってきた。
目を開けると、目の前の自分の手が涙でぼんやりと滲んで見えた。
「手紙、読んじゃったかな…?」
クッ、と喉の奥が鳴った。
嗚咽が毀れてきそうになる。
不良たちの出現で忘れていた事実が、また歩の心に蘇った。
自分の本当の気持ちを知ったら、壮士はどうするだろう。
蔑むだろうか。
それとも、哀れむだろうか。
壮士のことを忘れると決めたのに、それも出来ず、そして他の男に抱かれていた。
自分を誤魔化し、嘘をつき続けた。
そんな全てを、壮士は今、知ってしまったのだ。
「アユ?」
堀尾が戻って来て、額に冷却シートを貼ってくれた。
それから、ジュースを貰い、歩は喉を鳴らしてそれを飲んだ。
「な…?何にもされて無いよな?」
心配そうに、だが躊躇いがちに堀尾が訊いた。
多分、ずっと気になっていたのだろうが訊きづらかったのだろう。
「うん、なにも…」
歩の答えを聞いて、堀尾はホッとしたようだった。
だが、すぐにまた表情を硬くした。
「な?それじゃ、何で家を飛び出して来たんだ?熱があるのに、裸足でなんて……。壮士に、またなんか言われたとか?」
「ううん…。壮士は、何にも言ってないよ。壮士は悪くない。俺が、勝手に……」
「何にもないのに、裸足で出てくる奴なんかいないよっ。アユ、もうあいつのこと庇うの止めろよっ」
「庇ってなんかない。ホントに壮士は何も知らないんだ。俺が、勝手に好きになって、勝手にずっと思い続けてただけ…」
「言ってないのか?自分の気持ち……」
「……言えない。ずっと…、言うつもりなんか無かったんだ」
「でも、知られちゃったのか?」
頷いて、歩は目を閉じた。
「多分…」
「でもあいつ、アユのことホントに心配してたみたいだったぞ」
「うん…」
だがそれももう、手紙を読んでしまったらお終いだと歩は思った。



1時間ほどして、買い物から帰ったのか母親から電話があり、歩を車で迎えに来た。
堀尾に礼を言って歩は車に乗った。
ほんの5分ほどの距離だったが、その間中、熱があるのに外に出た歩を母親のお小言が苛んだ。
みんなに心配を掛け、また堀尾に迷惑を掛けたことを叱られ、歩は素直に謝った。
家に帰ると、壮士の姿は無かった。
ちょっと買い物に出るからと、居間のテーブルの上にメモが置いてあった。 歩が部屋に入ると、手紙は集められて元のファイルの中に仕舞われていた。
だが、その全てが封を切られていた。
歩は、暫くの間、ベッドの端に腰を下ろしたまま、開いたファイルを呆然と眺めていた。
これを読んで、一体壮士は何処へ行ったのだろうか。
もう、自分の顔を見るのが嫌になって出て行ったのだろうか。
「仕方ないよ。初めから分かってたことだもん」
呟いて、歩はコロンとベッドに横になった。
「なんで、こんなに好きなのかな?」
これほど嫌われてしまったと言うのに、どうして自分は壮士を嫌いになれないのだろうか。
諦めようと幾ら努力しても、頭の中から壮士の陰が消えない。消えるどころか、それはどんどん大きくなっていくのだ。
「嫌いだって、はっきり言ってくれたらいい……」
熱が上がって解熱剤を飲んだ所為か、ぼんやりと眠気が襲ってきた。
歩は目を閉じると、そのまま眠りに落ちた。



酷く喉が渇いて目が覚めた。
もう熱は下がったようだったが、節々が痛い。
歩はよろよろと起き上がって、部屋を出た。
すると、居間にいた母親が歩に気付いて立ち上がった。
「熱はどう?何も食べないで寝てたから、お腹空いたんじゃない?」
「ううん。ただ、なんか飲みたくて…」
そう答えると、母親は近付いて来て歩の額と項に手をやった。
「ああ、下がったわね。良かった…。麦茶かオレンジジュースしかないけど」
「麦茶でいい」
歩が言うと、母親は棚からグラスを出して、冷蔵庫から取り出した麦茶のジャグから中味を注いだ。
それを受け取り、歩は一気に飲み干した。
空のグラスを差し出して、もう一度注いでもらうと、それもまた殆ど一気に飲み干した。
「何か食べなくていいの?歩の分の夕飯もちゃんと作ったのよ」
「いい。もう少し寝る」
「そう?じゃあ、食べたかったら言いなさいよ」
「うん」
壮士は何処にも居なかった。
そして母もその事に触れなかった。
もしかしたら、壮士がここに来たこと自体、全部が夢だったのだろうか。
ぼんやりとそんなことを思い、歩は部屋へ戻った。
だが、そこには壮士の荷物がちゃんと残っていた。
一体、何処へ行ったのだろうか。
夕飯の時間にも戻って来なかったのか。
歩はベッドに腰を下ろすとヘッドボードに置いてある目覚まし時計を見た。
もう、8時半になろうとしていた。
このまま会わずに済むなら、その方が良いとさえ思える。一体、どんな顔をして壮士に会えばいいのか、もう歩には分からなかった。
ふと立ち上がって、壮士の荷物の上に乗っていたTシャツを手に取った。
恐る恐る胸に当て、それから唇を押し当てた。
目を瞑ると、それを着ていた壮士の姿がありありと浮かんだ。
「大好き…」
そっと、自分にさえ聞こえないように歩は呟いた。
そして、シャツを離すと、またベッドに戻った。
だが、ベッドに腰を下ろして、また壮士のシャツを見つめた。
立ち上がり、躊躇いがちに手に取ると、またベッドに戻って、今度はそれを抱きしめたまま横になった。
「壮士、大好き…」
今度はさっきよりも大きな声でいい、歩はギュッとシャツを抱きしめた。
手紙など書かなければ良かった。どうせ出せもしない、出す勇気もなかったのに。
手紙さえなければ、壮士に知られることもなかった。
醜い、本当の自分を晒すこともなかった。
自分を心配して、土地勘のない壮士があれほど夢中で探してくれたのに。
一緒に帰ろうと手を差し伸べてくれたのに。
その手を取ることさえ、自分には出来なくなってしまったのだ。
そしてもう、2度と、あんな風に壮士の手が自分の方へ向けられることもないだろう。
シャツを抱きしめ、歩は丸くなった。
このまま、壮士の匂いを抱いて眠ってしまえればいい。
そう思った時、部屋のドアが開いた。
ハッとして顔を上げると、複雑な表情の壮士が入って来た。
「ごっ…、ごめんなさいッ」
抱えていたシャツを急いで胸から離し、歩は泣きそうな顔で言った。
そのシャツが自分の物だと気付き、壮士は驚いて歩を見た。
「アユ…」
「ご…、ごめ……」
近付いて来た壮士から目を逸らし、歩はベッドの上で後ずさると、胸に膝をくっつけるようにして小さくなり両手で顔を覆った。
「めんなさ……」
覆われた手の隙間から、ホロホロと涙が毀れて落ちた。
壮士は、ベッドの上に上がると、歩の身体に腕を回して抱き寄せた。
「アユ…」
切なげに名前を呼び、壮士は歩の頭に頬を摺り寄せた。
「ごめんな、アユ…。気がつかなくて、ごめん…」
慰めるようなその声に、歩の涙がますます溢れた。
嗚咽を漏らし、目の前の壮士の胸に顔を押し付ける。肩が震え、込み上げてくる熱い塊で喉が詰まった。
「堀尾に会ってきたんだ…」
思いがけない壮士の言葉に、歩の嗚咽が止まった。
「俺が知らなかった間のアユのこと、教えてもらいたかったから」
「そう…し…?」
「俺の為に、アユがどんなに頑張ってくれたか、どんなに無理してきたか、全部聞いたよ」
壮士は顔を上げた歩の頬から、ゆっくりと涙を拭い取った。
「俺がどんなに馬鹿だったか、どんなにアユを傷つけてたか、良く分かった」
「何か言われたの?ホリが酷いこと言ったんじゃ…」
歩の言葉に、壮士は首を振った。
「いや、堀尾はちゃんと話してくれた。それに…、言われても当然だから…」
それを聞いて、今度は歩が激しく首を振った。
「違うよ…。壮士は悪くない。俺が…、俺が勝手に、全部勝手にした事だもん」
歩の瞳に、また涙が溢れだした。
「ごめんね?壮士…。俺、こんな風になるつもりじゃなかった。壮士を困らせるつもりなんかなかった。何時までも変わらないって、ずっと友達だって、そう思ってた筈なのに。なんでこんな……」
嗚咽がこみ上げ、それ以上の言葉は続かなかった。
また両手で顔を覆い、歩は嫌々をするように首を振った。
「……めんね?壮士、俺っ……どうしても…」
「アユ…」
壮士の手が歩の手首を掴んだ。
そして、ゆっくりとその手を顔から離させた。
「もう泣くなよ。謝るのは、俺の方だから…」
「壮士…」
目を開けた歩の額に、壮士が自分の額を押し付けた。
「泣き虫アユ。俺の……」
囁くように言い、額を押し付けたまま壮士の顔がゆっくりと角度を変えた。