手紙
-29-
「や……」
ふいっと、歩は顔を背けた。
だが、そんな自分の行動が理解出来なかった。
(なに……?)
自分の行動に愕然として、歩はまた壮士の方を向いた。
「アユ?」
壮士もまた、怪訝そうに問い掛ける。
「ううん…」
急いで首を振り、歩はまた目を閉じた。
だが、また壮士の唇が触れると、さっきの感覚が強烈に押し寄せた。
「ヤッ…」
顔を背け、歩は両腕でギュッと自分の体を抱いた。
(なに?なんで…?なんで…?)
自分でも訳が分からない。
だが、何故か身体が拒絶してしまう。
しちゃいけない。
その思いが、突然湧き上がった。
(え…?いいんだよ。だって…、壮士はいいんだ…)
そう思ったが、身体が勝手に壮士を押し退けようとする。
(壮士はいいんだ…。だって、好きなんだから…。好きな人とは、したっていいんだよッ)
いけない。いけない。いけない。
「いやっ」
自分の内から聞こえて来るその声に、歩は首を振って耳を塞いだ。
「アユ?どうした?」
戸惑って、壮士が訊いてきたが、歩は答えられなかった。
「やっぱり嫌なのか…?俺のこと、許せない?」
辛そうに壮士が言った。
驚いて、歩は急いで首を振った。
「ちがッ…」
だが、歩の身体は瘧のようにガタガタと震えだしていた。
「俺が怖い?アユ?」
「違うっ、ちが……」
必死で否定して止めようとしても、どうにもならなかった。
「アユ……?」
壮士も戸惑い、身体を丸めて震える歩を抱き寄せるとギュッと強く抱きしめた。
だが、歩は壮士の腕の中で尚も震えるばかりだった。
(そうじゃない…。壮士は特別なんだ。俺、壮士とキスしたい……壮士に抱かれたい。壮士だったら、痛いのも平気だから……、だから…ッ)
だが、そう思い込もうと必死になっても、歩の身体がそれを理解することは無かった。
震え続ける歩を抱きしめ、壮士はその身体を撫で続けた。
そして、そのまま朝を迎えてしまった。
明け方になって、歩は少し眠ったが、壮士は一睡も出来ずにいたようだった。
「ごめんね、壮士……」
情けなくて、歩は泣きながら謝った。
だが、壮士は首を振って笑みを見せた。
「いいって…、アユが悪いんじゃない。俺のこと許せなくて当然だよ。でも、もしまだ望みがあるなら、俺は何時までも待ってるから」
その言葉に歩は首を振った。
「違うよ、許せないんじゃない。そんなんじゃないんだッ」
だが、どうして自分の身体が言う事を聞かないのか、歩にも説明が出来なかったのだ。
「壮士のこと好きなのにッ…。こんなに好きなのに……ッ」
「アユ…」
もどかしげに泣く歩を壮士はまた腕に抱き寄せた。
「いいよ、アユ。ゆっくりでいいから……。どうせ俺たち、馬鹿みたいに遠まわりしたんだから、今更焦ること無いよ。そうだろ?」
だが歩は、そんな余裕を持つことは出来なかった。
自分の状態が異常だということは、歩自身が1番良く分かっていたからだ。
このままではきっと、何時まで経っても壮士とキスさえまともに出来ないだろう。
こんな状態が何時までも続いたら、きっと壮士だって呆れてしまうに違いない。
そして、また離れて行ってしまうかも知れない。
セックスが全てではないなどと、嘯けるほどお互いに大人ではないのだ。
折角思いが通じ合ったというのに、また壮士の手が自分から離れていったら。そう思っただけで、歩は涙が止まらなかった。
朝食を取る為に食卓に並んだ冴えない顔の2人を見て、母親が眉を顰めた。
「なあに?2人して腫れぼったい顔してるわねえ…」
「昨夜、色々と話が盛り上がっちゃって、朝まで喋ってたから…」
壮士が言い訳すると母親は笑って頷いた。
「まあ、まるで修学旅行みたいね?でも、それなら仲直り出来たんでしょ?」
2人が喧嘩していたと思い込んでいる母親は、そう言ってまた笑った。
朝食の後、寝不足の壮士はまた布団に戻ってゴロゴロとして居る内に眠ってしまった。
歩はその寝顔をベッドに腹這いになって眺めた。
「好き…。壮士、大好き…」
そっと呟いて手を伸ばすと、歩は壮士の手に指を絡ませた。
もう、触れてもいいのだ。そう思うと、嬉しくて涙さえ出てくる。
それなのに、何故この身体は壮士を拒絶するのだろう。
歩は男だから…
それは、自分自身が思い込んだ罪悪感のようなもので、壮士からは一言だって聞いてはいない。
だが、そのしこりのような物が、どうしても歩の中から消えないのだ。
そして突然、新たな恐怖に歩は襲われた。
壮士は女の子の体を知っているのだ。自分を抱いたら幻滅するかも知れない。
ハッとして、歩は壮士の手を離した。
(彼女……)
壮士には彼女がいる。
それは、本人の口から聞いたし、電話やメールのやり取りもしていた。
当然、その子とは、キスしたりセックスしたりしていたに違いなかった。
(どんな子なんだろう?)
壮士の告白が嘘だったとは思わない。だが、その存在が気にならないとしたら、それは嘘だった。
多分、綺麗な子だろうと思う。
その顔を見れば、きっと自分は醜い嫉妬に囚われるだろう。
壮士は、明後日になれば家に帰ってしまう。
自分も一緒に元の家に帰れば、夏休み中は一緒に過ごせるかも知れない。だが、新学期になれば、また此方へ戻って来なければならないのだ。
遠く離れているだけでも不安なのに、壮士に抱かれることも出来ない。
そんな自分が、すぐ傍にいつもいる可愛い彼女に勝てるのだろうか。
「いや…」
歩はシーツに頬を押し付けたまま呟いた。
思いが通じれば、不安など消し飛んでしまうと思っていた。だが、それはまるで違っていた。
今度は失うことが、怖くて怖くて堪らない。
もう一度手を伸ばし、壮士の指に指を絡めると、無意識にキュッと、壮士が歩の指を握った。
いつの間にか眠ってしまったらしく、歩が目覚めると壮士の姿は無かった。
布団も畳まれていて、きちんと隅に置かれていた。
時計を見ると、もう昼に近かった。
居間に行くと、壮士は母親とテレビを見ていて、歩を見ると、本屋に行きたいと言った。
歩は返事をして、シャワーを浴びると出掛ける支度をした。
昼食は外で食べる事にし、母親から特別に小遣いを貰って家を出た。
「何の本買うの?小説?」
「うーん…、見てから決める。なんか、お薦めあるか?」
「そうだなぁ…」
言いながら歩が小説の新刊本のコーナーへ行くと、そこに新田が立っていた。
「あ…、キャプテン…」
「あゆ…、沢口…」
“歩”と言いかけて、新田は歩の後ろにいた壮士に気付いて言い方を変えた。
歩が言葉を捜して戸惑っていると、壮士がその腕を掴んで引っ張った。
「アユ、行こう…」
「えっ…?」
グイッ、と後ろに引かれて歩はよろけながら歩き出した。
振り返ると、複雑な表情で新田が此方を見ていた。
歩は辛くなって目を伏せると、ぺこりと頭を下げて新田に背を向けた。
「壮士、本は?」
本屋の外まで引っ張って来られて歩は訊いた。
「もういい。どっかで飯食おう…」
怒ったようにそう言って、壮士は歩を引っ張ったまま歩き出した。
「壮士…、手、痛いっ」
歩の言葉に壮士は突然立ち止まった。
「くそッ…」
俯いたまま悔しげにそう言うと、壮士は空いていた方の手をぎゅっと握り、硬い拳を作った。
「あいつ…、アユをッ」
「壮士……」
壮士が新田に嫉妬しているのだと気付き、歩は嬉しかった。
だが、同時にさっきの新田の表情を思い出して苦しくもなった。
自分が、新田の優しさに救いを求めなければ、自分の気持ちから逃げなければ、2人を傷つけることは無かったのかも知れないのだ。
そして、新田に抱かれなければ、もしかすると壮士とのセックスも抵抗無く出来たのかも知れない。
全ては、自分の弱さと浅はかさが招いた結果だった。
「ごめん、壮士…」
項垂れた歩を、壮士が振り返った。
「馬鹿…、謝らなくていい」
そう言って歩の手を掴み直すと、壮士は軽く引いて進むことを促した。
「なんか食お?」
「うん…」
歩はやっと顔を上げて、何とか笑みを返した。