この空の果てまで


-6-

「ほら、入って」
「うん、お邪魔します」
僕を家の中に入れると、葦原はすぐに上がるように言った。
今に顔を出して家族に僕が来た事を告げると、葦原は僕を促して自分の部屋へ連れて行った。
「ここに座って…」
そう言うと、すぐに暖房をつけて、それから僕の身体を毛布で包んだ。
「だ、大丈夫だよ。こんなにしなくても…」
「いいから、包まってろよ。風邪でも引いたら大変だろ?今、何か温かいもの持ってくるから」
「あ、ありがと…」
葦原が出て行くと、ホッと息をついて僕は毛布を引っ張ってすっぽりと自分を包んだ。
今から、僕は葦原に転校の事を言わなければならない。
一体、どうやって切り出せばいいのか、怖くて堪らなかった。
「七綱、ココアでいい?」
「あ、うん。大好き…」
 湯気の立ったマグカップをふたつ持ち、ひとつをテーブルの上に置くと葦原は僕の前に座った。
「ほら、熱いぞ」
「ありがと…」
 熱いマグカップを受け取ると、僕は中のココアをフーフーと吹いた。
「寒かったろ?」
自分もマグカップを持つと、葦原は下から僕を見上げて言った。
「大丈夫…。ごめんね?連絡しないで来ちゃって…」
「いや。携帯、切ってあったからな…。甘過ぎた?」
ココアを飲んでいた僕に、葦原が訊いた。
「ううん。美味しい…」
僕が笑ってそう言うと、葦原も一瞬笑みを見せた。
だが、すぐに笑みを消すと、カップをまた机の上に置いて、僕の隣に腰を下ろした。
「七綱…」
両手で僕の頬を包み、葦原は何故か、もの凄くそっとキスをした。そして、何かを決意するかのように目を瞑って、額を僕の額に押し付けた。
「…里久?」
呼び掛けると、フッと力を抜いて目を開け、そしてまた僕にキスをした。
葦原の身体が離れると、僕は持っていたカップを両手で包むようにして膝の上に置いた。
「言って…?僕、平気だから…」
「七綱…」
やはり、葦原の心には僕の恐れていた何かがあったのだ。
でもそれを、葦原は押し込めたまま忘れようとしてくれた。
様子がおかしかったのは、その所為だろうと思う。
葦原はやはり、何か悩んでいたのだ。
「…七綱のことが好きだよ。ホントだ…。1番、大事だよ…」
葦原の手が伸びて、僕の頬に触れた。
「七綱の傍に居ると幸せな気持ちになれるんだ。離したくない、ずっと…」
「里久…」
頬の上の葦原の手に自分の手を重ね、僕はそれを握った。
「でも、七綱は気付いていたんだろ?俺の…、気持ちが揺れてたこと…」
頷いた瞬間、目を瞑ると同時に涙が落ちた。
でも、僕は葦原の手を離さなかった。
「最初は…、ただ気になって…、1人ぼっちの結花が、まるで七綱みたいに思えた。傍に居てやらないと、潰されてしまうんじゃないかって…。ただ人と馴染むのが苦手なだけなのに、ああいう容姿で仕事だから、気取ってるとかお高く留まってるとか、陰口言われてるのを見ていて可哀想で堪らなかった」
やっぱり、野々宮さんの言った通りだった。葦原は工藤結花の姿に僕を重ねていたのだ。
でも、同情する気持ちが、それだけではなくなっていったのだろう。
「1人暮らしで寂しいって言うから、家に誘った。そしたら、もの凄く嬉しそうで、お袋の料理も喜んでくれて、画面で見るのとは違って素直で無邪気で、可愛かった。…ふと、彼女といる時に七綱のことを忘れてることに気付いた。…何時だって、忘れたことなんか無かったのに…」
ふと目を上げて、葦原は僕の頬から涙を拭ってくれた。
僕はただ、されるままに彼を見つめた。
「自分の気持ちが信じられなくて、きっと、ずっと七綱に会えなかったからだろうって思った。早く会って、顔を見て抱きしめたら、きっとすぐに元通りだって…」
葦原の言葉で、僕はあの、彼がまるで人が違ったみたいに乱暴に僕を抱いた晩の事を思い出した。
「これが最後なのかって、七綱に訊かれて愕然とした。必死で否定して、俺自身も思い込もうとした。ほんの一時の気の迷いだって…。そう思おうとしてたんだ」
「里久…」
身を寄せて、僕は葦原の胸に頬を預けた。すると、葦原はゆっくりと僕の髪を撫でてくれた。
「時間が欲しかった…。冷静に、自分の気持ちを見つめ直す時間。でも、その一方で、七綱を不安にさせたくなかった。七綱の性格を分かってるだけに、嘘をつくしかなかった。でも、七綱はやっぱり感じてたんだな、ずっと…。俺の嘘を分かってたんだろ…?」
言われて僕は首を振った。
「ううん…。不安だったけど、嘘だなんて思って無かったよ。信じようって、決めたから…」
「…ごめん。七綱…」
ギュッと抱きしめられて、僕はまた目を閉じた。
「けど、分かったんだ…。結花に対する気持ちは七綱を想うのとは違う。はっきり、それが分かった…」
顔を上げると、葦原はじっと僕の瞳を見つめた。
「七綱が電話に出てくれなくなって、酷く不安だった。何してても、七綱の泣き顔が浮かんで、また、俺の所為で泣いてるんじゃないかって思うと胸が痛くて堪らなかった。泣いてるくせに、不安がってるくせに、七綱はそれを俺に気付かせまいとしてるんだって分かってた。分かってるくせに何も出来ない自分が、堪らなく嫌だったよ」
葦原の手が、また僕の頬に戻って来た。
その暖かさに、また涙が滲む。
いつでも優しい、僕の大好きな葦原の手だった。
「七綱…、七綱を失ったら、俺は一生後悔する。こんな風に思える相手は、七綱以外にはいないんだ」
「里久…」
僕がギュッとシャツを掴むと、葦原は笑みを浮かべた。
「ごめん。もう、迷わないよ…。七綱だけを見てる…、ずっと…」
それはまるで、プロポーズの言葉のように僕には聞こえた。
葦原は僕に永遠を誓ってくれたのだ。
「嬉し……」
言葉が続かなくて、最後はただ涙になった。
もし、葦原が彼女を選ぶなら、僕は別れてもいいと思っていた。
彼の為に出来ることは、僕にはそれぐらいしかないと思ったからだ。
でも、葦原は僕を選んでくれたのだ。
これ以上の幸せを、僕はこの先の人生で味わうことは無いだろうと思えた。
塩辛かっただろう僕の唇に、葦原は何度もキスをくれた。
そして僕は、最高の幸せをくれた僕の恋人に、辛い事実を告げなければならなかったのだ。



「転校……?」
驚きで両目を見開き、葦原は信じられないといった口調で聞き返した。
「うん…。冬休みになったら、行かなきゃいけないんだ」
「う、嘘だろ?…なに言って…。分かった、俺が結花の事で不安にさせたから仕返しするつもりか?そうだろ?そうなんだろ?」
必死でそう言う葦原を見ている内に、僕の瞳はまた涙で滲んだ。
「ごめんね…?僕が上の学校へ行くまでの間だけでも、家族で一緒に暮らしたいって、そういう両親の思いを裏切るなんて出来ないんだ。僕だって、残りたい。転校するなんて嫌、里久と離れるなんて嫌だよ。…でも、行かなきゃ…。行かなきゃならないんだ…」
「そんな…。そんなのって、あるか…」
葦原は、力が抜けたようになって僕の腕を離した。そんな彼の姿が、涙でぼやける。
「ずっと、傍に居たかった…。ずっと、ずっと、里久の傍に…」
「七綱…ッ」
痛いほどに、息が止まるほどに、葦原は僕を抱きしめた。
このまま彼の一部になってしまえたらいいと、そんな馬鹿な事を考えながら、僕は彼の胸で泣き続けた。



担任の先生に転校する事を告げると、ホームルームの時間にみんなに言ってくれた。
驚いたことに、今まで余り話したことのなかったクラスメートまで残念がってくれて、とても嬉しかった。それから、仲の良かった数人は、行く前にお別れ会をしてくれると言ってくれたが、僕は余計に寂しくなるからと断った。
終了式の日まで学校へ来て、冬休みに入った2日後に引っ越すことになった。
行く日を数えるのは嫌だったが、気が付くとカレンダーを見てしまう。そして、寂しさに包まれてしまうのだった。
僕が引っ越すことを告げてから、葦原は忙しい時間を割いて毎日会いに来てくれた。
学校を休んでも、夜中を過ぎても、家には必ず来てくれた。
キスして抱き合って、またキスをして、僕達はあまり話もせずに、お互いの存在を覚えこもうとするように身を寄せ合った。
「クリスマス……」
ぽつりと葦原が言い、僕は彼の胸から顔を上げた。
「北海道だったら間違いなくホワイトクリスマスだな…」
「うん…、そうだね」
僕が頷くと、葦原は笑って僕の眼を見つめた。
「会いに行くよ。クリスマスになったら、北海道に行く」
「え…?」
「今年のクリスマスは七綱とデートするって決めてたんだ。バイト代も使わずに取って置いた。だから、旅費も心配ないし、クリスマスは北海道でデートしよう」
「ほんと?」
「うん。きっと行く。約束する」
「里久…ッ」
嬉しくて僕は葦原の首にしがみ付いた。
「絶対、絶対に来て?待ってるから、ホントに来て?」
「うん、絶対に行く。約束するから…」
「嬉しい…ッ」
離れ離れになってしまっても、葦原は1度も“別れよう”とは口にしなかった。
いざ、遠くに行ってしまったら、気持ちも冷めてしまうのだろうかと心配していたが、もしかすると僕達は、どんなに離れた場所に居ても、こうして心を繋げていられるのかも知れない。
そう思うと、身体中が暖かくなった。
葦原は、今度の仕事を最後にして、もう撮影の仕事は受けないつもりらしかった。その代わり、受験勉強に向けて塾に入るつもりだと言った。
まだ、僕は上の学校を何処にするか決めていなかったが、もし、葦原さえ良ければ同じ大学へ行きたいと思った。
そしたらまた、葦原の傍に居られる。
会いたい時に、顔を見ることが出来るのだ。
だから、僕も転校したらすぐに塾へ行くつもりだった。
一緒の大学に行きたい、と言いたかったが、まだ気が早いような気がして言い出せなかった。
あの日、工藤結花が葦原に言っていたのは、仕事の話だったそうだ。
今度、彼女初主演の映画を撮ることになったのだが、その相手役をどうしても葦原に頼みたいと言ったらしい。
でも、葦原はもう芸能界の仕事を辞めるつもりだったので断ったそうだ。
工藤さんは、きっと葦原にもっと傍に居て欲しかったのだろうと思う。
そして、葦原も彼女の気持ちを知っていたのだろう。辛そうだった、あの時の表情を見てもそれは明らかだった。
あんなに魅力的な女の子より、そして、魅力的な芸能界の仕事より、葦原は僕を選んでくれた。
誰よりも、何よりも、大事だと言ってくれた。
そんな葦原と、離れなければならないのは本当に死ぬほど辛い。
だけど僕は、今度こそ揺ぎ無い心で葦原を信じられる気がした。
「七綱…、出来たら、一緒の大学へ行けるといいな」
「え…?」
僕が言い出せなかった言葉を、葦原は何の躊躇いも無く口にした。
「そしたらまた、毎日会える」
にっこりと笑って、葦原はそう言ってくれた。
「うんっ…。僕、頑張って勉強するッ」
「うん、俺も…」
そう言って、葦原は僕の額にチュッとキスを落とした。



転校する1週間ほど前に、僕は野々宮さんを家へ呼んだ。
約束していたのに、とうとう彼女に来てもらう機会が無くて、今頃になってしまった。でも、どうしても1度、彼女に遊びに来て欲しかったのだ。
病院で重要な仕事をしている母は、引越しの直前まで仕事をすることになっていたので、その日も留守だった。
家の中は荷物の整理中でダンボールだらけだったが、野々宮さんは思い出だからと、僕の部屋で一緒に携帯で写真を撮った。
ジンジャーとペッパーは連れて行きたかったが、移動中にストレスで死んだりしたら嫌なので、葦原が預かってくれることになった。
それを言うと、水槽のガラスを突いて中を覗きながら野々宮さんは頷いた。
「ふうん…。そうか、じゃ、君達も暫くは北野とお別れだね…」
そう言うと、野々宮さんは僕の方を振り返った。
「でも、1年とちょっとの間だもんね。そんなのすぐだよ。また、すぐに会えるもんね?」
「うん。夏休みにはちょっとの間だけど、帰って来られるかも知れないし…。そしたら遊んでね?」
「モチだよ。いっぱい遊ぼうよっ」
「うん、ありがと。…野々宮さんは、卒業したら美容学校へ行くんでしょ?なら、このまま地元だよね?」
「うん、そのつもり。だから、あたしはずっとこっちに居るからね。いつでも連絡してよね」
「うん」
転校することになって、最初は悲惨な思いに囚われていた僕だったが、こうして野々宮さんの言うように考えてみると、離れている間はほんの1年と少しなのだ。
そう思うと、気持ちが楽になった。
( また、すぐに会えるよ)
置いていく、ジンジャーとペッパーに僕は心の中でそう言った。
そんなことを知ってか知らずか、金魚たちは野々宮さんの指を追ってひらひらと泳いでいた。
僕が夕食を作ってご馳走すると言うと、野々宮さんは、それなら自分も手伝うからと言って台所へ立った。
ハンバーグと、シチュー、それとサラダを作ることになり、野々宮さんはシチューを担当してくれた。
家でも、忙しい家族に代わって台所に立つ機会が多い野々宮さんは、さすがに手際が良くて、僕は安心して任せてしまった。
「うん、美味しいっ。あたし、和風ハンバーグ大好きなんだ。このタレ、美味しいよ、北野」
お世辞も入っていたのかも知れないが、野々宮さんは僕の作ったハンバーグを喜んで食べてくれた。
野々宮さんのシチューも、市販のルーを使わずにちゃんと自分でルーから作ってくれたもので、とても美味しかった。
2人で褒めあいながら楽しく食事をし、僕は野々宮さんをバス停まで送って行った。
「北野…、最後の日、泣いちゃったらごめんね…?」
バス停に着くと、野々宮さんはそう言った。
「野々宮さん…」
「あ、泣かないように頑張るけどさ、でも…、もしかするとヤバイかも知れないから、今のウチに言っておこうと思ってさ」
「うん…・・」
「すぐに会えるのは分かってるけど、でも、やっぱり寂しいよ。一緒に卒業したかった…」
 そう言った野々宮さんの声は、少し涙混じりだった。
「ありがと…」
僕も釣られて、つい、涙声になる。すると、野々宮さんは僕の肩に手を置いた。
「ご、ごめんね。今日はしんみりしないで、楽しくやろうって決めてたんだけどさ。…あ、そうだ。葦原のことなら、浮気しないようにあたしが見張ってるから。心配しないで大丈夫だからね?」
「うん。ふふ…、ありがと。じゃあ、お願いするね」
僕が笑うと、野々宮さんはホッとしたような顔になった。
「うん…。でも、そんなの余計なお世話かもね。葦原は絶対によそ見したりしないよ。きっと…」
「…うん」
僕が頷くと、野々宮さんは笑いながらポンポンと僕の肩を叩いた。



終業式の日、僕の最後の日に、葦原はポスター撮りで学校へは来なかった。
でも、前の日にも会っていたし、引越しの日にはジンジャーたちを受け取りながら見送りに来てくれると言ってくれていたので、僕は気にしなかった。
帰りのホームルームで、僕は先生に言われて、前に立ってみんなに挨拶をした。
最後に頭を下げると、みんなが拍手をしてくれた。
帰る時、今まで余り話した事がなかった数人が、僕にメルアドをくれた。
嬉しくて、必ずメールすると約束した。
それから、女子の何人かが一緒に写メを撮ってくれたり、思いがけず僕の転校を惜しんでくれた。
“元気で”とみんなに見送られ、僕が鞄を持って教室を出ようとした時、後ろの扉から息を切らせた葦原が飛び込んで来た。
「り…く……」
今日は1日撮影だと言っていたので、僕は驚いて、思わずいつものように下の名前を呼んでしまった。
他のみんなも驚いている中、葦原は息を整えることもせずに、僕に近付いて来た。
ザワザワとどよめき、みんなは僕達に注目した。
「七綱…」
葦原も、僕をいつものように呼んだ。
それを聞いて、どよめきが大きくなる。
親しい素振りなど見せたことの無い僕達が、まさか名前で呼び合う仲だとは、誰1人思わなかったのだろう。
「さ、撮影は…?」
「時間早めてもらって、それから即効で終わらした。学校で会うのは最後だから、やっぱり、今日、ちゃんと会いたかったし…」
「そ…」
みんなの視線に気付き、僕はやっと慌て出した。
今までの僕達を見ているみんなには、こんな葦原の行動や言葉が不思議に思えただろう。
変に思われたら、もう居なくなる僕はいいが、葦原は困るに違いない。
僕は必死で、何か言い訳になる言葉を探したが、気が動転してしまって何も思いつかなかった。
その内に、葦原は僕の前に立つと両手で肩を掴んだ。
「もう最後だから、みんなにも本当の事を言おうって決めたんだ」
「えっ…?え?…な…?」
意味が分からず、動転する僕の頬を葦原は両手で包んだ。
そして、驚いたことに、みんなの見ている前で僕にキスをしたのだ。
(り、里久…ッ)
余りに信じられない行動に、僕は両目を見開いたまま、息をするのも忘れてしまった。
そして、心臓が口から飛び出すのではないかと言うほど衝撃を受けていた僕の耳に、一斉にざわめきや悲鳴が飛び込んできた。
“うそだろっ?”とか“キャー”とか、中には“えっ?なに?ドッキリ?”なんて言葉も聞こえた。
そして、それらが幾重にも重なり合って、教室の中は異様などよめきで満ちて溢れた。
そんな中、ひとり平然とした態度で、葦原は僕の唇を離すとみんなを振り返った。
「俺と七綱は、もう随分前から付き合ってる。俺はバラしても平気だったけど、七綱が俺の事を気遣って心配するから黙ってた。でも、俺たちにはこの関係を恥じる気持ちは全く無いから」
そう言い切った葦原を見つめて、僕はやっと彼の真意を理解した。
最後の最後だからこそ、彼は僕の事をみんなの前で自分の恋人だと示してくれたのだ。
それに気付くと、嬉しくて、嬉しくて、彼の姿がすぐにぼやけてしまった。
そして、葦原の表情を見て、やっとこれが冗談ではないのだと全員が気付いた時、みんなの中から、拍手する音が聞こえた。
「葦原、カッコいいっ」
そう言って、野々宮さんが手を叩いていた。
(野々宮さん……)
嬉しかったが、葦原の発言が広げる波紋を思うと、怖くもなっていた。でも、野々宮さんのこの行為で、僕は救われた思いだった。
すると、彼女の拍手に釣られて何人かが手を叩き始めた。
そして、驚いたことにその拍手が全員に広がったのだ。
「里久…」
驚いて、僕が上着の裾を掴むと、葦原は笑いながら頷いて、そして僕を抱きしめてくれた。
 にはみんなに同調しただけの人も居るだろう。それでも、この中に僕たちの関係を認めてくれた人たちが居るのかと思うと、嬉しくて泣き出しそうだった。
「頑張れよ。遠距離恋愛」
みんなの中からそんな声が掛かると、葦原は笑いながら頷いた。
「おう。距離なんて関係ないから」

本当にそうだ。

僕はこの時、心からそう思うことが出来た。
これから先、きっと葦原は嫌な陰口をきかれる事もあるだろうし、奇異の目に晒されたりもするだろう。
そんな全てを覚悟した上で、彼は僕の事をみんなに言ってくれたのだ。
それは、どんな言葉よりも僕に対する気持ちの重さを感じさせてくれた。
本当に、今死んでもいいくらい、僕は幸せだった。


みんなに見送られ、僕は泣きながら葦原と手を繋いで教室を出た。
「そんなに泣くなよ。驚かしてごめんな?」
葦原の言葉に、答える事も出来ず僕はただ首を振った。
彼と出会えて、本当に良かったと思う。
奇跡のような、あの温室での出会いを、僕はまた思い出した。
ひっそりと忘れられた存在のようにあの温室に居た僕を、葦原は見つけてくれたのだ。
少しの間、離れ離れになってしまうけど、でもそれは僕達の繋がりに何の影響も及ぼさないだろう。
どんなに離れていても、この空が続くように、僕の想う先にはきっと葦原が居る。
そして彼は、きっと受け止めてくれる。
今までもそうだった様に、それは変わらずに続くのだ。
「幸せで…、息が出来ない…ッ」
やっとそういった僕を、葦原は笑いながら抱きしめた。
廊下を通っていく生徒達が驚いて見つめたが、もう僕達は、他の誰の視線も気にならなくなっていた。