chocolate


温めた牛乳に、食べ掛けのチョコレートを一欠け入れると、真純はそれをクルクルとスプーンで掻き混ぜた。
紅茶やコーヒーにも砂糖を入れずブラックで飲むのを好む癖に、時折、こんな風に甘い飲み物を欲しがったりする。
丁度、ココアが切れていて、仕方ないのでチョコレートで代用したらしい。だが、もともとは同じ原料から作られているのだから悪くは無いだろう。
「旨い?」
一口飲んだ真純に、大樹(だいき)は声を掛けた。
「うん、まあまあ…。ちと甘過ぎ?」
言いながら真純は大樹の前にカップを差し出した。
フーッと吹いて、恐る恐る唇をつける。
猫舌の大樹は熱いものを飲む時はいつも用心深かった。
「うん、結構好き…」
嬉しそうに大樹が言うと、真純はカップの取っ手を差し出した。
「なら、全部飲んでいいよ」
「要らないの?」
「うん…。やっぱり、コーヒーにする」
そう言ってキッチンへ入って行く真純の後姿を、大樹は黙って見つめた。
いつも大樹が何か欲しがると、いや、欲しがらなくても真純はそれを与えてくれる。
真純は、どんなものにも執着しない。いつだって、なんだって、簡単に手放してしまう。
きっと、
「別れたい」 と言ったら、「いいよ」 と言うだろう。
「他の奴と付き合いたい」 と言えば、「どうぞ」 と言うだろう。
そして2度と、自分を見たりしないだろう。
カップを置いて、大樹はその隣にあった食べ掛けの板チョコを、バキッと折って口に入れた。
甘くて蕩ける、ミルクチョコレートの味。
「真純…」
キッチンから戻ってきた真純に大樹は声を掛けた。
「うん?」
手に持ったカップからコーヒーを啜りながら真純は大樹の隣へ腰を下ろした。
「俺のこと好き?」
「うん」
今更、なんで、そんなことを聞くのかと言いたげな、怪訝そうな表情で真純は頷いた。
「じゃあ、キスしよ?」
大樹が顔を近づけると、真純は笑いながらその唇に唇を押し付けた。
すぐに舌が絡み合い、チョコの味にブラックコーヒーのビターが加わった。
「明日も一緒に居られる?」
最近、不安になって、大樹はよく真純にそう訊いた。
「明日はバイトだよ?」
知っている癖にと言いたげに真純は笑った。
「この頃、変だね?寂しがってばかりいる…」
言いながら真純は大樹の身体を抱きしめた。
「何が不安?」
訊かれて大樹は真純の肩の上で首を振った。
”棄てないで”
そう言ったら、真純は笑うだろう。冗談だと思うだろう。
だが、いつか簡単に棄てられてしまうような気がして、大樹は怖かった。
「あのマフラー、欲しいな…」
答える代わりに大樹は言った。
真純の後ろの、ソファの腕に掛かっているマフラー。昨日、真純が友達の外国旅行の土産に、さっきのチョコと一緒に貰ってきた物だった。
すると、真純は大樹の身体を離して振り返った。
「アレは駄目だよ」
「え…?」
大樹は目を見張った。
初めて、真純に駄目だと言われた。大樹は驚いて真純の横顔を見つめた。
今までは、どんな物だろうと、あっさりと与えてくれたではないか。
「アレは国分(こくぶ)がわざわざ買ってきてくれたんだから、やるわけにいかないよ。ごめんな?」
「…ううん。俺こそ…ごめん」
国分芳裕。最近、真純は彼とばかり遊んでいる。
大樹はテーブルの上のチョコレートを指差した。
「これも、食べちゃってごめん…」
国分のくれたチョコは、もしかして真純にとって特別だったのかも知れない。それは、自分が口にしてはいけないものだったのかも知れない。
「何言ってんの?食べたっていいよ」
眉間に皺を寄せ、真純は大樹を見た。
「ほんとに、どうしたんだ?なんだか今日はおかしいよ」
おかしいのは自分だろうか。
真純を見る大樹の目に薄っすらと涙が滲んだ。
「明日も一緒に居たい…」
「大樹…」
戸惑うような顔をして、真純はまた大樹を抱き寄せた。
「分かった。じゃあ、バイト休むから…」
言葉が消えた後、耳元で聞こえた溜め息が、大樹には酷く悲しかった。

真純の肩越しに、テーブルの上に置かれた、さっきのホットチョコレートのカップが見えた。
表面に、薄っすらと乳脂肪分の膜が出来ていた。
あの中に溶け込んでいるのは、国分のチョコレート。
上の邪魔な膜は、スプーンで掬って棄ててしまう。
そして、掬ったことさえきっと、次の瞬間には忘れてしまうのだ。
きっと、最初から無かったかのように忘れてしまうのだろう。
(俺のこともいつか…)
最初から、居なかったかのように……。