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カラオケボックスに移動したが、豊海は端っこの席にちんまりと座ってソフトドリンクを飲んでいた。
人前で歌ったことも無かったし、カラオケに来るのも数えるほどしか経験が無かった。
本当は、決意したように、明るくなる為には歌のひとつも歌った方がいいのは分かっていたが、精々みんなの歌に合わせて手拍子を打ったり拍手をしたりするので精一杯だった。
見ると、小山内は2人の女の子に挟まれて一緒に歌おうと誘われていた。
志田は豊海の言葉で意識してしまったのか、わざと麻衣を見ないようにしていた。
その麻衣は隣に座った弓野と仲良く話していたが、時折、チラッと志田を見ていた。
どうやら、豊海が感じたのは間違いではなかったようだ。
もう1組はどうやらカップルになりそうな雰囲気で、2人きりでずっと耳打ちを繰り返している。カラオケの音が煩いので、そうしないと相手の声が聞こえないのだろう。
(そろそろ帰ろうかな……)
志田に断ろうとして豊海が袖を掴もうとした時、向こうに座っていた小山内が席を立って豊海の隣に来た。
「豊海君、一緒に歌おうよ」
「えっ?お、俺は駄目だよ。歌えないし…」
タッチパネルを差し出されて豊海はそれを押し返した。
「大丈夫だって。ほら、これは?知ってるだろ?」
「し、知ってるけど…、でも…」
豊海が躊躇うと、女の子たちが此方を向いて口々に言った。
「歌って歌って」
「うん、歌ってよ、豊海君」
女の子たちの言葉に小山内もにっこり笑って言った。
「ほら、歌おう?ね?」
「う、うん…」
チラリと志田を見ると、少々呆れたような様子でグラスを取った。だが、何か言おうとはしなかった。
曲を入れた小山内にマイクを持たされ、豊海は画面を見つめた。
気後れがして最初は余り声が出なかったが、一緒に歌っている小山内に励まされるようにして段々に声が出てきた。
気がつくと、小山内の腕がぴったりと豊海の肩に押し付けられていた。
くっつき過ぎではないかと思ったが、急に離れるのも他の人たちにおかしく思われるのではないかと思い、豊海はそのままにしていた。
歌い終わるとみんなが拍手してくれた。だが、ひとりだけつまらなそうな顔でグラスを傾けている女の子が居た。
それは、小山内にずっとアタックしていた子で、きっと彼が自分の隣から移動して豊海の隣に座ったのが面白くなかったのだろう。
「あ、俺、氷取って来るよ」
最初に持ってきた氷はクーラーの中でもう水になりかけていた。それを持って立ち上がり、豊海は部屋を出た。
「ふう…」
慣れない事ばかりで少し疲れていた。本当はもう帰りたかったが、気を使ってくれている志田や小山内に悪いとも思っていた。
製氷機の前まで来た時、後ろから声を掛けられて振り向くと、さっきのつまらなそうにしていた女の子が此方に向かって来た。
「何か…?」
豊海が問い掛けると、彼女はいきなり豊海が持っていたアイスクーラーを取り上げ、中の氷の解けた冷水を豊海の頭からぶちまけた。
「ひゃッ…」
吃驚してただ呆然と立ち竦んだ豊海にクーラーを押し付けると、彼女は酔って座った目つきでぐっと豊海を睨んだ。
「帰れ、ホーモ」
棄て台詞を残すと、彼女はサッサと向きを変えてトイレの方に向かって行ってしまった。
びっしょり濡れたまま、豊海はただ立ち尽くしていた。
このままみんなの居る部屋へ帰って、一体なんて言い訳すればいいのか思いつかなかったのだ。
まさか、水を掛けられたなどと言う訳にはいかない。思いついて携帯を出すと、豊海は志田に電話を掛けた。
「もしもし?ごめん…、俺、やっぱり帰るからさ廊下まで荷物を持って来てくれない?」
「なんで?どうかしたのか?」
「う、うん…、ちょっと…。頼むよ…」
「分かった。待ってろ」
怪訝そうな様子だったが、志田は承知して間も無く豊海の荷物とブルゾンを持って出て来てくれた。
「おい、どうしたんだ?」
濡れ鼠の豊海に気付いた志田がすぐにそう訊いた。
「ちょ、ちょっと失敗して…」
「失敗ってどんな?どう失敗すりゃ、水なんか被れるんだ?」
呆れたように言いながら、志田はハンカチを出すと一緒に濡れた髪を拭ってくれた。
「な、なんだろね?酔っ払ってたのかな…。ご、ごめん。俺、もう帰るよ」
「待てよ。もっと良く拭かないと、風邪引くって…」
「いいよ。大丈夫…。じゃあ、みんなに宜しく言って?今日はありがと。楽しかった」
「大丈夫か?じゃあ、気をつけて帰れよ」
「うん、おやすみ」
心配そうな志田を後に残し、豊海は店を出た。
外に出る前にブルゾンを着たのだが、冷たい水で濡れた髪が寒風に晒されるとブルッと震えてしまった。
(やばい…、本当に風邪引きそう……)
そう思った途端に泣きたくなった。
水を掛けられたことより、彼女の言った言葉が豊海の心を抉っていた。
(やっぱり俺、駄目なんだなぁ…)
幾ら普通になろうとしても、幾ら明るくなろうとしても、自分はやはり根暗な異常者なのだと痛感させられた。
ブルッとまた身体を震わせると、豊海は両手で襟を掻き合わせるようにしてその中に顎を埋めた。
寒気が止まらないので、すぐに布団を敷いて横になったのだが、やはり豊海は夜中から熱を出した。
薬の買い置きも無く、冷やす道具も無く、ただ寝ているしかなかったが、明け方に喉が渇いてふらふらしながら冷蔵庫まで行った。
入っていたのはお茶のペットボトルだけだったが、それももう残り少なかった。
キャップを開けてそれを一気に飲み干すと、空になったボトルを流しの中に入れ、今度はトイレに入った。
熱の所為でふらつく。
時々、柱や壁に掴まりながら布団に戻ると、また横になった。
うとうとと眠っては目覚めるのを繰り返し、朝を迎えると、鞄の中で携帯が鳴っているのが聞こえた。
だが、今は起き上がるのも億劫で、そのまま放って、また浅い眠りに落ちた。
昼近くに、喉がカラカラで目が覚めた。
仕方なく、またふらふらしながら起き上がり、水道の水をコップに注いで飲んだ。
寝ていても、やはり薬を飲んでいない所為か熱が下がった様子は無かった。立っているだけでふらついて、流しに掴まっていなければならなかった。
このまま肺炎にでもなったら、誰にも知られずに死ぬのだろうか。
そんな思いに囚われて、豊海は少し怖くなった。
布団に戻るついでに鞄の中から携帯を出してチェックすると、志田からのメールが入っていた。
布団の中に入って横になってから内容を読むと、昨夜のことを心配して送ってくれたらしかった。
やっぱり風邪を引いてしまったこと、熱が出たことを返信して豊海は携帯を閉じた。
すると、今度は電話の方の着信音が鳴った。
どうやら、メールを読んで心配したらしく相手は志田だった。
「豊海?熱が出たって?大丈夫か?」
「あ…うん…」
大丈夫だと言おうとして、自分の声が余りに皺枯れているのに驚き、豊海は一旦言葉を切った。
「おい、酷でえ声じゃんか。くそ、行ってやりたいけど、俺、今日は午後も授業があるんだよな。単位ヤバイからふけらんねえし…」
「い、いいよ。寝てれば平気だから…」
「平気って声じゃないけどな…。今日、バイトも早番なんだけど、誰かに代わってもらえるか訊いて見るわ。遅番に代わってもらえたら、学校から直行するし」
「い、いいって…。大丈夫だよ」
本当は心細くて、志田が来てくれたら嬉しいと思ったが、豊海は素直に甘えられなかった。
「兎に角、誰かに当たってみる。じゃあな」
豊海が答える前に、志田は電話を切ってしまった。
解熱剤を買ってきてくれるように頼めば良かったと思ったが、もう一度電話するのさえ億劫で豊海は携帯を閉じると、それを枕の脇に置いて目を閉じた。
昨夜よりも熱が上がっているようだ。
だが、寝ている以外、今の豊海に出来ることはなかった。